オーストリア旅行記(ウィーン)
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ベルヴェデーレ宮殿
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入口でチケットを買ってベルヴェデーレ宮殿の上宮に入場します。入口のホールはサラ・テレーナ・サロンと呼ばれています。ホールの隣にはショップがあります。

上宮のサラ・テレーナ・サロン
上宮の「大理石の間」 →
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サラ・テレーナ・サロンの階段を上ると「大理石の間」です。
第二次世界大戦でナチス・ドイツが敗北した後、オーストリアはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4ヶ国によって分割統治されましたが、1955年にこの「大理石の間」で、4ヶ国とオーストリア政府の間で国際条約が締結され、オーストリアは永世中立国として独立を回復しました。
ベルヴェデーレ宮殿の上宮はオーストリア・ギャラリーになっていて、19世紀末に活躍したグスタフ・クリムトやエゴン・シーレなどの分離派と呼ばれた人々の作品が展示されています。

接吻(クリムト)
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オーストリア・ギャラリー最大のコレクションは、グスタフ・クリムト(1862〜1918年)の「接吻(1907〜1908年)」です。
モデルの二人は、クリムト自身と恋人のエミーリエ・フレーゲと言われています。
続いては、エゴン・シーレ(1890〜1918年)が描いた「死と乙女(1915年)」です。

死と乙女(シーレ)
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この作品のモデルは、シーレ自身と同棲していた恋人ヴァリー・ノイツェルです。
この絵が描かれた年、シーレは恋人のヴァリーと別れてエディットという女性と結婚しました。
1918年に開催された第49回ウィーン分離派展で、シーレの作品は高い評価を受けましたが、同じ年の10月に若干28歳で亡くなりました。
「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン(1801年)」は、ハプスブルク家のライバルであるナポレオンを描いたジャック・ルイ・ダヴィッドの作品です。

サン・ベルナール峠を越える
ナポレオン(ダヴィッド)
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1800年5月、ナポレオンは北イタリアに集結したオーストリア軍の背後を突くために有名なアルプス越えを敢行します。白馬に跨ったナポレオンは勇ましく描かれていますが、実際には馬での歩行は困難でラバに乗って移動したそうです。
オーストリア軍の背後に回りこんだナポレオン軍は「マレンゴの戦い」で勝利をおさめます。
そして、1806年8月にハプスブルク家が皇帝として君臨した神聖ローマ帝国はナポレオンによって消滅しました。
ちなみに、オーストリア・ギャラリーの内部は写真撮影が禁止されています。窓から外の景色を撮影するのはOKということなので、窓からのベルヴェデーレ庭園の眺めを撮影しました。

ベルヴェデーレの庭園
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この庭園は、フランス人のドミニク・ジラールが手掛けたフランス式庭園です。
遠くにはウィーンのシンボル、シュテファン寺院が見えます。
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