オーストリア旅行記(ウィーン)
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シェーンブルン宮殿
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今日は終日ウィーン観光です。まずは、バスに乗ってウィーン郊外にあるシェーンブルン宮殿に向かいます。
シェーンブルン宮殿
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シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の夏の離宮です。この地域は、16世紀後半からハプスブルク家の狩猟地として利用され、狩猟の館がありました。1683年にウィーンを包囲したオスマン・トルコの大軍を撃退した皇帝レオポルト1世(在位1658〜1705年)は建築家フィッシャー・フォン・エルラッハを起用して1688〜1700年にかけて壮麗なシェーンブルン宮殿を建設します。
1744年、マリア・テレジア女帝は建築家ニコラウス・フォン・パカッシに宮殿の大改築を命じます。このときに外観もピンクからマリア・テレジア・イエローに塗り替えられ、現在の姿になりました。
現地ガイドさんの後に続いて宮殿に入場します。宮殿の内部は写真撮影が禁止されているので絵ハガキを使って紹介します。宮殿に入り、2階に上ると大ギャラリーがあります。
シェーンブルン宮殿の大ギャラリー
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幅10メートル、長さ43メートルの大ギャラリーでは日夜、舞踏会や晩餐会が開かれました。1814年には、「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議が開催され、1961年には、アメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相による東西首脳会談が開催されました。
シェーンブルン宮殿は1441室ありますが、一般に公開されているのは40室ほどです。その中のいくつかを紹介すると、、、
「鏡の間」は、6歳のモーツァルトがマリア・テレジア女帝やマリー・アントワネットの前で御前演奏を行った部屋です。「漆の間」は、部屋中が漆で飾られていて、マリア・テレジア女帝の夫フランツ・シュテファンの執務室として利用されました。
鏡の間
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漆の間
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「青い中国のサロン」は、中国の日常生活の様子が描かれた壁紙や陶磁器で飾られています。オーストリア帝国最後の皇帝カール1世(在位1916〜1918年)は、1918年11月11日にこの部屋で退位文書に署名し、650年近くに渡るハプスブルク王朝の歴史に終止符が打たれました。
青い中国のサロン
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ベルグルの間(庭園の間)
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宮殿の1階にある「ベルグルの間」は、通常は非公開の部屋です。しかし、今回のツアーでは特別に見学コースに含まれています。係員に扉の鍵を開けてもらって中に入ると、ボヘミア出身の画家ベルグルが描いた南国風景が広がる4つの部屋が続いていました。 |
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