オーストリアの歴史


バーベンベルク家の時代(976〜1246)


 ローマ人が建設したウィンドボナ(現在のウィーン)を含む一帯は、西暦800年に戴冠したカール大帝のフランク王国時代を経て、神聖ローマ帝国の領土に組み込まれました。
 
 西暦976年、神聖ローマ帝国の皇帝オットー2世は、東方のマジャール民族(ハンガリー人)に対する拠点のオスト・マルク(東方辺境伯領)にバーベンベルク家を封じます。彼らが支配する領土は、オスタリッチ(東の国)と呼ばれ、ハインリヒ・ヤソミルゴット(宣誓公)の時代には、ウィーンが都に定められました。
 
ハインリヒ・ヤソミルゴット(オーストリア、ウィーンの市庁舎)
ハインリヒ・ヤソミルゴット

レオポルト6世(オーストリア、ウィーンの市庁舎)
レオポルト6世
 
 
 1156年、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ1世は、ハインリヒ・ヤソミルゴットを公爵に昇格させ、オスト・マルクはオーストリア公爵領となりました。その後もバーベンベルク家の領土は繁栄を続け、 レオポルト6世の時代に最盛期を迎えました。
 
 バーベンベルク家のオーストリア支配は、270年に渡って続きましたが、1246年に最後の当主フリードリヒがハンガリーとの戦いで戦死したことによって断絶しました。
 
BC1000

BC500年
オーストリアのデュルンシュタインに建つリチャード1世が幽閉されたクーエリンガー城の跡ハルシュタット文明
(写真は岩塩の採掘で繁栄したオーストリアのハルシュタット
BC100年 ウィンドボナ(現在のウィーン)がローマ帝国の領土に組み込まれる
476年 西ローマ帝国が滅亡
800年 ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に立つカール大帝の騎馬像フランク王国のカール大帝がローマ教皇から帝冠を授かり、西ローマ帝国復活(神聖ローマ帝国の母体)
(写真はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂に立つカール大帝の騎馬像
955年 ザクセン家のオットー1世の軍勢がレヒフェルトの戦いでマジャール人(ハンガリー人)に勝利
962年 オーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ帝国の冠ザクセン家のオットー1世がローマ教皇から帝冠を授かり、神聖ローマ帝国誕生
(写真はオーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ帝国の冠)
976年 オットー2世、神聖ローマ帝国のオスト・マルク(東方辺境伯領)にバーベンベルク家を封じる
1133年 バーベンベルク家のレオポルト3世がハイリゲンクロイツ修道院を建設
バーベンベルク家のレオポルト3世がクロスターノイブルク修道院を建設
1147年 バーベンベルク家のハインリヒ・ヤソミルゴット(宣誓公)がウィーンにシュテファン寺院の建設を開始
1155年 バーベンベルク家のハインリヒ・ヤソミルゴットがウィーンをオスト・マルクの首都に定める
1156年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がオスト・マルクをオーストリア公爵領に昇格させる。ハインリヒ・ヤソミルゴットは辺境伯からオーストリア公爵に昇格
1194年 オーストリアのデュルンシュタインに建つリチャード1世が幽閉されたクーエリンガー城の跡バーベンベルク家のレオポルト5世が十字軍から帰還中のイングランド王リチャード1世を捕らえて幽閉
(写真はオーストリアのデュルンシュタインに建つリチャード1世が幽閉されたクーエリンガー城の跡
1246年 バーベンベルク家が断絶