バルト三国旅行記
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大聖堂
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大統領官邸から大学通りと呼ばれる道を歩いていくと、ヴィリニュスの中心地、カテドゥロス広場(大聖堂広場)に出ます。この広場には、ヴィリニュスのシンボルになっている大聖堂と鐘楼が建っています。

大聖堂と鐘楼
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もともと、この場所には異教の雷神ペルクーナスを祀る神殿があったと言われています。
1251年にミンダウガスがリトアニアにキリスト教を導入すると、聖堂に建て替えられました。ところが、ミンダウガスは1263年に暗殺されてしまい、聖堂は解体されて異教崇拝の場に戻されました。
1387年にリトアニアが再びキリスト教を受け入れると、再び聖堂が建てられました。当時はゴシック様式でしたが、1783〜1801年の大改築で現在の姿になりました。これはクラシック様式と呼ばれています。歴代のリトアニア大公の戴冠式はこの大聖堂で挙行されました。

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かつての城壁跡
← 鐘楼 |
大聖堂の側に建っている鐘楼は高さ53メートル、頂上の十字架まで含めると57メートルあります。塔は4階建てになっていて一番下の部分は14世紀に建造された城壁の一部が使われています。
広場の敷石は、一部がレンガ色になっています。これは14世紀に建造された城壁の跡を示しているそうです。

「奇跡」の敷石
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「人間の鎖」の起点
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鐘楼近くの敷石の中に「STEBUKLAS」と書かれた敷石があります。これは「奇跡」という意味で、1989年8月23日の「人間の鎖」のメモリアルです。
1989年8月23日は独ソ不可侵条約の締結から50周年にあたりました。この条約は、ソ連によるバルト三国の併合を認めるものだったため、バルト三国の人々が次々に手を繋いで抗議活動を行いました。参加した人々は200万人に及び、このヴィリニュスからラトビアの首都リガを経由してエストニアの首都タリンまで600キロメートルが繋がりました。新幹線で東京駅から西明石駅までが約600キロメートルに相当するそうです。
大聖堂の中を見学します。この大聖堂は1950年にソ連によって閉鎖されました。1956年に絵画ギャラリーとして利用された後、「人間の鎖」の1989年に再びカトリック教会となりました。

大聖堂の内部
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祭壇画「聖スタニスラウスの殉教」 |
中央の祭壇画は「聖スタニスラウスの殉教」です。フランシスゼク・スムグレヴィッチという画家の作品です。スタニスラウスはポーランド生まれの聖人で、ポーランド王ボレスワフ2世(在位1076〜1079年)と対立して殉教しました。
この大聖堂の最大の見所は聖カジミエルの礼拝堂です。聖カジミエル(1458〜1484年)はリトアニアの守護聖人です。彼はポーランド王を兼ねたカジミェシュ公の子供で、25歳で亡くなりました。

聖カジミエルの礼拝堂
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聖カジミエルの祭壇
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この礼拝堂は、ポーランド王ジグムント3世(在位1587〜1632年)によって1623から建設が始まり、ヴワディワフ4世(在位1532〜1648年)の治世の1636年に完成しました。
建設にあたってはイタリア人の建築家や彫刻家が招かれました。礼拝堂はバロック様式になっていて、周囲の壁は紅と白の大理石で装飾されています。礼拝堂の四隅には8体の像があります。彼らは歴代のリトアニア大公で木像に銀メッキが施されています。

聖母子の彫刻
聖カジミエルのレリーフ →
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聖カジミエルの祭壇はピエトロ・ペルティが手掛けたもので、幼子を抱いた聖母マリアが聖カジミエルの棺を見守っています。聖カジミエルのレリーフは1520年頃に描かれ、18世紀前半に製作された銀メッキで覆われています。特徴的なのは聖カジミエルの手が3つあることです。3つ目の手は、画家が3度塗りつぶしても現れてきたため、そのまま残したという言い伝えがあります。
左右の壁には1692年にミケランジェロ・パロニという画家が描いた二つのフレスコ画が飾られています。

聖カジミエルの遺体
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聖ウルスラの蘇生 |
「聖カジミエルの遺体」は、死後120年が経過しているのに棺の中に安置されていた聖カジミエルの遺体が全く腐敗していなかったという奇跡の場面が描かれています。「聖ウルスラの蘇生」は、聖人の棺の前で少女ウルスラが蘇生したという奇跡の場面が描かれています。
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