バルト三国旅行記
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聖アンナ教会と夜明けの門
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大聖堂の隣には大公宮殿が建っています。イタリア人の建築家によって14世紀後半に建設され、歴代のリトアニア大公の居城として利用されました。
1569年の「ルブリンの合同」でポーランドとリトアニアが1つの国家になると、君主はポーランドに滞在することが多くなって次第に利用されなくなり、1655〜1661年にかけてのモスクワ戦争で破壊されました。19世紀後半に完全に取り壊されて公園になっていましたが、2002〜2009年にかけて再建されました。

大公宮殿
ゲディミナス大公像 →
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大公宮殿の前にはゲディミナス大公の銅像が立っています。1996年に設置されたもので、ソ連が支配していた時代はレーニンの銅像が立っていたそうです。ゲディミナス大公の銅像の左手には鉄の鎧を身に着けて吠えるオオカミの像があります。
言い伝えによると、ゲディミナス大公(在位1316〜1341年)は、ネリス川とヴィリニャ川が合流するこの辺りで狩りを行います。狩りの途中で野営したある夜、彼は不思議な夢をみました。それは、ゲディミナスが丘の上に立っていると、鉄の鎧を身に着けたオオカミの遠吠えが聞こえてくるという夢でした。
目を覚まして祭司に相談すると、「この地に町を建設すればオオカミの遠吠えのように、ゲディミナス大公の名声が周辺に知れ渡るだろう」という神託との答えでした。こうして1323年にゲディミナス大公は丘の上に城を建設してヴィリニュスを首都に定めました。

大聖堂と鐘楼
ゲディミナス塔 →
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大公宮殿の背後にある丘の上にはゲディミナス塔が建っています。13世紀に城が建設されたときに城壁も築かれたときに、この塔も城壁の一部として建てられました。
その後、14世紀後半に丘の麓に大公宮殿が建設されましたが、丘の上の城も大公宮殿も1655〜1661年のモスクワ戦争で破壊されてしまい、塔だけは1930年頃に再建されました。
カテドゥロス広場からベルナルディヌ通りと呼ばれる道を進んでいくと、レンガ色をした聖アンナ教会が見えてきます。

ベルナルディヌ通り
聖アンナ教会 →
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聖アンナ教会(聖オノス教会)は、1495〜1500年に建設されたもので、炎が燃えているかのような装飾が特徴のフランボワイヤン形式になっています。建設を担当したのは、ベネディクト・リートという建築家です。彼はチェコの首都プラハのプラハ城の旧王宮あるヴラディスラフ・ホールも手掛けています。
1812年にロシアに進軍するナポレオン軍がヴィリニュスに滞在した時に、聖アンナ教会を見たナポレオンがフランスに持ち帰りたいと語ったというエピソードが残されています。

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ベルナルディン教会の内陣
← ベルナルディン教会 |
聖アンナ教会の背後にはベルナルディン教会があります。この教会はゴシック様式です。15世紀後半にフランシスコ会によって建設され、16世紀初頭に改築されて現在に至っています。1863年にソ連によって閉鎖され芸術アカデミーとして利用されましたが、1994年にフランシスコ会に返還されました。

夜明けの門(外から)
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夜明けの門(内側) |
ベルナルディン教会を見学した後はバスに乗って少しだけ移動します。やってきたのは旧市街の南側の入口にあたる夜明けの門です。もともとヴィリニュス旧市街には9つの城門がありましたが、現存しているのはこの夜明けの門だけです。1503〜1522年に建造されました。
夜明けの門は内部に入ることができます。階段をのぼっていくと聖母のイコンが飾られている礼拝堂があります。

聖母のイコン |
イコンは、1363年にアルギルダス公(在位1345〜1377年)がクリミア半島に遠征した際に持ち帰ったものと伝えられています。アルギルダスは、ヴィリニュスを建設したゲディミナス公の息子です。
最近は、このイコンは16世紀に制作されたという説があり、そのイコンの上に17世紀に制作された銀板が取り付けられています。
この聖母のイコンは奇跡を起こすと信じられていて、多くの信者がこのイコンの前で一心に祈りを捧げています。
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