バルト三国旅行記


トゥラカイ城


 本丸は、大公公邸として利用されました。中央に中庭があって、その周りをぐるりと建物が囲んでいます。建物は5階建てになっていて、木製の回廊や階段で行き来できるようになっています。
 
大公の公邸
大公の公邸
公邸の中庭
公邸の中庭
 
 大広間には、リトアニア大公の玉座が置かれています。
 
公邸の大広間
公邸の大広間
玉座
玉座
 
 この大広間に2枚のタペストリーが架けられています。1枚は、「ジャルギリスの戦いからの凱旋」の場面が描かれています。
 
「ジャルギリスの戦いからの凱旋」を描いたタペストリー
「ジャルギリスの戦いからの凱旋」
 1410年7月15日の「ジャルギリスの戦い」は、ポーランドとリトアニアの連合軍がチュートン騎士団(ドイツ騎士団)に勝利した戦いです。
 
 「ジャルギリス」は現在のポーランドにある村の名前です。ポーランド語では「グルンヴァルト」と呼ばれています。ドイツ語では、「タンネンベルク」と呼ばれ、「タンネンベルクの戦い」という呼び方の方が有名です。
 
 この戦いの勝利によって、リトアニアはチュートン騎士団の勢力を排除して、東ヨーロッパの強国へと成長していきます。
 
 
 この建物は、トゥラカイの歴史博物館にもなっています。
 
歴史博物館
歴史博物館
ヴィタウタス大公のステンドグラス →
ヴィタウタス大公のステンドグラス
 
 まず目に入ってきたのはヴィタウタス大公が描かれたステンドグラスです。ヴィタウタス大公(在位1401〜1430年)は、ヴィリニュスを建設したゲディミナス大公の孫にあたります。彼は1352年に、このトゥラカイ城で誕生したと伝えられています。彼の時代にリトアニア大公国は最大版図となり、彼の死後はポーランド王国に組み込まれていきます。
 
 少し先に進むと、人形で法廷の様子が再現された部屋があります。他にもカライメ族の衣装を着た人たちの人形も並んでいます。
 
法廷の様子
法廷の様子
カライメ族 →
カライメ族
 
 カライメ族は、ユダヤ教を信仰する人たちです。カライメ族は長い年月をかけてエルサレムからクリミアへと移動してきました。ヴィタウタス大公は、彼らを傭兵としてクリミアから連れてきて、トゥラカイ城を警備する役目を与えました。
 
 さらに先に進むと、印章やコインのコレクションが展示されている部屋や、リトアニア軍が使った武器や防具のコレクションが展示されている部屋があります。
 
印章やコインのコレクション
印章やコインのコレクション
武器と防具のコレクション
武器と防具のコレクション
 
 壁には、かつてのトゥラカイ城が描かれた絵画やヴィタウタス大公の肖像画が架けられています。この絵画には2つの城が描かれていますが、奥に描かれているのが私たちが見学しているトゥラカイ城です。手前の城は現在は廃墟になっています。
 
中世のトゥラカイ城を描いた絵画
中世のトゥラカイ城
 
ヴィタウタス大公の肖像画 →
ヴィタウタス大公の肖像画
 
 さらにもう1枚、「ジャルギリスの戦い」を描いた絵画も見ることができます。ポーランドを代表する画家ヤン・マテイコ(1838〜1893年)が1878年に描いた作品です。オリジナルは、ポーランドのワルシャワ国立博物館に展示されているので、これは複製画です。
 
「ジャルギリスの戦い」を描いた絵画
「ジャルギリスの戦い」を描いた絵画
 
 1410年7月15日に行われた「ジャルギリスの戦い」の後、ヴィタウタス大公の名声は四方に響き渡りました。1385年以降、ポーランドとリトアニアは1つの国家にまとまりかけていましたが(当時のポーランド王ヨガイラはヴィタウタス大公の従兄弟)、ヴィタウタス大公はリトアニアの国王に即位してポーランドから独立しようと考えていました。
 
ヴィタウタス大公の胸像
ヴィタウタス大公の胸像
 ヴィタウタス大公は、1430年9月にトゥラカイ城で戴冠式を行う準備を進めていましたが、運ばれてくる途中で王冠がポーランド貴族によって奪われるなどの妨害にあって戴冠式は延期されました。
 
 それから間もない10月27日にヴィタウタス大公は死去しました。こうしてリトアニアが王国になる機会は失われ、リトアニアはポーランド王国に組み込まれていきました。