バルト三国旅行記


タリン旧市街の散策


「ラフマニノフ/交響曲 第2番 ホ短調 作品27 第3楽章 Adagio」
 
 タリンでは旧市街近くのホテルに宿泊したので、今朝は少しゆっくりして9時に出発です。バスに乗って最初にやってきたのは塔の広場です。この広場からは、タリンに現存する北西部分の城壁と塔が綺麗に見えます。
 
塔の広場
塔の広場
城壁と塔
城壁と塔
 
 13世紀初めに帯剣騎士団がタリンを占拠したときに木造の城壁が建設され、14世紀から16世紀にかけて石造りの城壁が築かれていきました。タリンがロシアの支配下に入った18世紀以降になって取り壊されてしまい、現在は1.8キロの城壁と20余りの塔が現存しています。
 
 このまま北の城門に向かうと、ふとっちょマルガレータと呼ばれる建物があります。正式にはツヴィンゲル塔と呼ばれ、1518年に建造されました。塔の外周は24メートルあり、壁の厚さは4メートル以上あって、一部は6メートルあるそうです。
 
 かつては、海から押し寄せてくる敵を攻撃するための大砲が設置されていましたが、ロシアがタリンを支配した時代には監獄として利用されました。
 
ふとっちょマルガレータ
ふとっちょマルガレータ
 囚人の食事の世話をした女性に愛情をこめて、ふとっちょマルガレータと呼ばれるようになりました。
 
 1917年に火災にあってから放置されていましたが、後に修復されて現在は海洋博物館になっています。
 
 ここから再びバスに乗って移動し、タリン旧市街に向かいます。
 
 ここで、私たちが滞在しているエストニアについての情報をまとめる
と、、
エストニアの面積は、4万5227平方キロメートルで九州と同じくらいの大きさです。エストニアの首都はいま私たちが滞在しているタリンです。
エストニアの人口は、2016年の統計で約132万人です。ソ連から独立した1991年の人口は167万人だったそうなので、リトアニアやラトビアと同じく年々減少傾向にあるそうです。首都タリンの人口は44万人です。
民族構成は、2016年時点でエストニア人が約69.1%、ロシア人が24.8%、他にベラルーシ人やウクライナ人、フィンランド人などが暮らしています。
宗教はエストニア人の多くがプロテスタントで、ロシア人も多いのでロシア正教を信仰する人たも多くいます。
エストニアはIT先進国であり、選挙や役所の手続きはすべてインターネットで行われていて、skype(スカイプ)の発祥国としても知られています。
 
 トームペア城の前でバスをおります。このトームペア城は、1227年にタリンを占領した帯剣騎士団によって1229年に建設されました。その後も、タリンの支配者がデンマーク、リヴォニア騎士団、スウェーデン、ロシアと変わっていき、その都度増改築されました。
 
 高さが50.2メートルある塔は「のっぽのヘルマン」と呼ばれています。塔の頂上には、毎日、日の出とともにエストニアの国旗があげられ、日没とともにさげられるそうです。
 
トームペア城
トームペア城
トームペア城の正面
トームペア城の正面
 
 トームペア城は側面から見ると石造りの城に見えますが、正面はバロック様式の宮殿になっています。この部分は、18世紀にタリンを支配したロシア帝国の女帝エカテリーナ2世(在位1762〜1796年)の命で、知事官邸として改築されました。現在は議会として利用されています。
 
 
 トームペア城の向かい側にはアレクサンドル・ネフスキー聖堂が建っています。ロシア皇帝アレクサンドル3世(在位1881〜1894年)の命で建設が始まり、1901年に完成しました。
 
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
 聖堂の中を見学しますが、内部は撮影が禁止されています。イコンやモザイクで装飾された聖堂には、1500人が収容できるそうです。
 
 入口の近くには日露戦争で敗北したバルチック艦隊(バルト海艦隊)にまつわるプレートが取り付けられています。
 
 1904年、日本とロシアの間で日露戦争が勃発すると、ロシアはバルチック艦隊を派遣します。このバルチック艦隊には徴兵されたエストニア人も乗艦していました。1904年10月に出港したバルチック艦隊は、長い航海の末に日本海に姿を現します。1905年5月27日から28日かけて、対馬沖で日本海軍とバルチック艦隊は激突し、日本が勝利しました。
 
 トームペア城とアレクサンドル・ネフスキー聖堂の間を通っている石畳の道をしばらく歩いていると、大聖堂が見えてきます。1219年にタリンを占領したデンマーク王ヴァルデマール2世の命で建設が始まり、1240年に献堂されました。1684年に火災で大部分が焼失しましたが、長い年月をかけて再建されました。この大聖堂も内部は撮影が禁止されていました。
 
大聖堂
展望台へ続く道
展望台へ続く道
← 大聖堂
 
 この大聖堂の右からのびるコフトゥ通りを進むと展望台があります。ここからは、タリン旧市街を一望することができます。

 
タリン旧市街の眺め
タリン旧市街の眺め
 
 タリンの町は、いま私たちが観光している「山の手」と呼ばれるエリアと、展望台から眺めている「下町」と呼ばれるエリアに分かれています。「山の手」は行政を担当する人たちや貴族が居を構え、「下町」は職人や庶民が暮らしていました。