BC3000年頃 |
エストニア人の祖先が現在のエストニア、ラトビア周辺に移住してくる |
BC2000年頃 |
ラトビア人やリトアニア人の祖先にあたるバルト族が南方から進出してきて、エストニア人の祖先は北方に移住 |
1219年 |
デンマークがレヴァル(タリン)を占領
(写真はエストニアの首都タリンに建つトームペア城) |
1202年 |
ラトビアでドイツの騎士たちによる帯剣騎士団結成 |
1227年 |
帯剣騎士団がレヴァル(タリン)を占領 |
1237年 |
帯剣騎士団がチュートン騎士団(ドイツ騎士団)に吸収され、リヴォニア騎士団を名乗る |
1238年 |
デンマークがレヴァル(タリン)を占領 |
1285年 |
レヴァル(タリン)がハンザ同盟に加盟 |
1346年 |
デンマークが北部エストニアをリヴォニア騎士団に売却 |
1347年 |
リヴォニア騎士団がエストニアまで領土を拡大
(写真はリヴォニア騎士団の居城となったラトビアの首都リガに建つリガ城) |
1525年 |
チュートン騎士団(ドイツ騎士団)がポーランド王に臣従してプロイセン公国が成立 |
1558年 |
ロシアがリヴォニアに侵攻してリヴォニア戦争勃発(〜1583年) |
1569年 |
ルブリンの合同(ポーランドとリトアニアの連合国家が成立) |
1629年 |
ポーランドとスウェーデンが「アルトマルク条約」を締結し、スウェーデンがダウガヴァ川より北部の領土を獲得 |
1700年 |
大北方戦争(〜1721年)
(写真はロシアのペトロドヴァレエツに立つピョートル1世像) |
1710年 |
ロシアがエストニアを占領 |
1795年 |
ロシア、オーストリア、プロイセンによる第三次ポーランド分割。ポーランド・リトアニア連合国家が消滅。現在のラトビアにあたる領土はロシアとプロイセンに分割される |