バルト三国の歴史


バルト三国の歴史(1921年以降)


 1920年にソビエト政権と平和条約を締結して独自の道を歩み始めたバルト三国ですが、新しい国家は多くの問題を抱えていました。
 
1920年頃のバルト三国
1922年頃のバルト三国
 多くの政党が入り乱れたために、政権の交代やクーデターが相次ぎ、政治的混乱が続きました。また、1929年に世界大恐慌が始まると、バルト三国も経済的危機に陥りました。
 
 さらに、第一次世界大戦後に復活したポーランドが、1920年にリトアニアの首都ヴィリニュスを占領したことで、ポーランドとリトアニアの間に緊張状態が続きました。
 
 こうした状況の中で、ドイツでは1933年にアドルフ・ヒトラーが政権を掌握します。同年10月にドイツは国際連盟を脱退し、1935年には再軍備を宣言します。ドイツは、1938年3月にオーストリア、翌1939年3月にチェコを併合しました。
 
 1939年8月にはソビエト連邦と独ソ不可侵条約を締結して世界を驚かせます。翌9月にドイツ軍がポーランドに侵攻すると、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発しました。
 
ドイツの占領地域(1942年)
ドイツの占領地域(1942年)
 
 ソビエト連邦は、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づいてポーランド東部とバルト三国を併合します。1941年になると、ドイツとソビエト連邦の間で戦闘が始まり、バルト三国はドイツ軍に占領されます。
 
 ドイツとその同盟国の領土拡大は1942年が頂点で、その後は連合国の反撃が始まります。1944年になると、ソビエト連邦軍がバルト三国を再び占領し、その際にバルト三国では多くの人々が逮捕されて処刑やシベリアへの流刑となりました。
 
 戦後、複数の国による連邦国家を形成していたソビエト連邦では、それぞれの国に役割が与えられました。例えば、リトアニアは琥珀の採取やクライペダなどの不凍港、ラトビアは機械産業や製薬産業、エストニアはIT産業といった具合でした。
 
 1985年にソビエト連邦でゴルバチョフ政権が誕生すると、バルト三国に転機が訪れます。ペレストロイカと呼ばれる改革が推し進められると、民主化を求める声があがり始め、バルト三国では独立への機運が高まります。ソビエト連邦がこれを封じようとすると、1989年8月23日に200万人の人々がヴィリニュスからリガを経由してタリンまで600キロに渡って手を繋いで、「人間の鎖」と呼ばれる抗議活動を行います。
 
 1990年3月にリトアニアが独立を宣言します。ソビエト連邦は経済封鎖や軍隊を派遣し、多数の犠牲者が出ました。エストニアやラトビアでも独立の機運は高まっていましたが、国内にロシア人が多く暮らしていたこともあって独立宣言は翌1991年8月になりました。
 
 ソビエト連邦では、1991年8月19日に保守派によるクーデターが勃発しますが、間もなく失敗に終わり、ソ連共産党は解散に追い込まれます。1991年9月6日、ソビエト連邦はバルト三国の独立を承認します。同年12月25日にソビエト連邦は消滅しました。
 
1921年 エストニア、ラトビア、リトアニアが国際連盟に加盟
1922年 12月、ソビエト連邦成立
1933年 1月、ドイツでヒトラー内閣発足
1939年 8月23日、独ソ不可侵条約を締結
9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦勃発(〜1945年9月)
9月17日、ソビエト連邦軍がヴィリニュスを占領
1940年 6月、ソ連軍がバルト三国を占領
当時、日本領事館があったリトアニアの町並み7月〜8月、リトアニアのカウナスにある日本領事館に赴任していた杉原千畝氏がユダヤ難民に日本通過のヴィザを発行
(写真は当時、日本領事館があったリトアニアのカウナスの町並み
8月、バルト三国がソビエト連邦に加盟
1941年 6月22日、ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソビエト連邦と開戦。ドイツ軍がバルト三国を占領
1944年 9月、ソビエト連邦軍によるバルト三国の再占領が完了
1989年 リトアニアのヴィリニュスにある「人間の鎖」の起点8月23日、バルト三国で「人間の鎖」
(写真はリトアニアのヴィリニュスにある「人間の鎖」の起点)
1989年 11月10日、ベルリンの壁崩壊
1990年 3月11日、リトアニアが独立を宣言
1991年 8月20日、エストニアが独立を宣言
8月21日、ラトビアが独立を宣言
9月6日、ソビエト連邦がバルト三国の独立を承認
9月17日、バルト三国が国際連合に加盟
かつてソヴィエト連邦の中心だったロシア、モスクワに建つクレムリン12月25日、ソビエト連邦が消滅
(写真はかつてのソビエト連邦の中心だったロシア、モスクワに建つクレムリン
1993年 8月31日、ロシア軍(旧ソビエト連邦軍)がリトアニアから撤退
1994年 8月31日、ロシア軍(旧ソビエト連邦軍)がエストニアとラトビアから撤退
2004年 3月、バルト三国がNATOに加盟
5月、バルト三国がEUに加盟
2011年 エストニアがユーロ通貨を導入
2014年 ラトビアがユーロ通貨を導入
2015年 リトアニアがユーロ通貨を導入