ベルギー旅行記(ブルージュ)


マルクト広場


 市内観光中に買ったお土産を置くために一度、ホテルに戻ります。そして時計を見ると、ただいまの時間は17時30分、まだまだ時間はあるので再びブルージュの散策に出かけます。
 
マルクト広場
マルクト広場
 まずは、旧市街の中心にあるマルクト広場に立ち寄ります。「マルクト」は「市場(マーケット)」を意味しています。
 
 広場の中心には2体の銅像が立っています。1302年の「黄金の拍車戦争」の指導者ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングです。
 
 中世の頃からブルージュを含むフランドル地方はフランスの統治下にあり、歴代のフランドル伯はフランス王が任命していました。1302年5月13日、交易や毛織物業で莫大な富を得て力を蓄えてきたブルージュの市民はフランスの支配に対して蜂起します。これに対してフランス王は軍隊を派遣します。
 
 銅像の2人が指揮するブルージュ市民はコルトレイクでフランス軍を迎え撃ち勝利します。市民はフランス軍の騎士たちが身に付けていた「黄金の拍車(乗馬靴のかかとにつける道具)」を奪ってコルトレイクの町にある教会に誇らしげに飾りました。
 
 
 銅像の後ろには、切妻屋根が特徴的なかつてのギルドハウスが並んでいます。現在はオープンテラスのカフェやレストランとして利用されています。銅像に向かって右側には19世紀に建てられたネオ・ゴシック様式の州庁舎があります。
 
ギルドハウス
ギルドハウス
ネオ・ゴシック様式の州庁舎
ネオ・ゴシック様式の州庁舎
 
 銅像の正面には大きな鐘楼が建っています。13〜15世紀にかけて建設されたもので、83メートルの高さがあります。取り付けられた47個のカリヨンが美しい音色を奏でています。
 
ブルージュの鐘楼
ブルージュの鐘楼
 銅像に向かって左側には、「クラネンブルクの館」と呼ばれる建物があります。
 
 1488年、ブルージュの市民はハプスブルク家のマクシミリアンの支配に対して反乱を起こします。市民はマクシミリアンを「クラネンブルクの館」に幽閉し、彼の側近たちをマルクト広場で処刑しました。その中にはマクシミリアンに忠誠を誓っていた市長のピエール・ランシェもいました。
 
 後に釈放されたマクシミリアンは軍勢を率いてブルージュを制圧し、市民の特権を剥奪します。そして、市民への当てつけのように、処刑された市長ピエール・ランシェの家紋だった白鳥を運河に放たせました。
 
 真偽は分かりませんが、こうしてブルージュの運河では多くの白鳥が泳ぐようになったと言われています。