ベルギー旅行記(ブリュッセル)


グラン・プラス


「レオ・ドリーブ/コッペリアのワルツ」
 
 石畳の路地を抜けてグラン・プラスにやってきました。縦110メートル、横70メートルの広場は歴史ある建造物で囲まれ、世界遺産にも登録されています。
 
ブリュッセルのグラン・プラス
ブリュッセルのグラン・プラス
 
 ブリュッセルは、センヌ河畔の湿地帯を開拓して建設された町です。「湿地帯の居住地」を意味する「ブルオクセラ」が語源と言われています。977年に神聖ローマ帝国の皇帝オットー2世(在位967〜983年)からこの地に封じられたシャルル・ド・フランスが翌978年に城塞を建設し、徐々に町が形成されていきました。
 
 町が発展していくと多くの人々が集まって取引を行うようになり、1174年にはグラン・プラスの原型になる市場の存在が記録に残っています。この市場がグラン・プラスと呼ばれるようになったのは18世紀後半になってからだそうです。
 
ブリュッセルの市庁舎
ブリュッセルの市庁舎
   ブリュッセルに建つ王の家
王の家
 
 
 グラン・プラスのシンボルになっている市庁舎は、ブルゴーニュ公国の統治下だった15世紀に建設されました。炎が燃えるような装飾が特徴のフランボワイヤン様式(後期フランス・ゴシック様式)の建物です。鐘楼の高さは96メートルあり、頂上には聖ミカエルの像が立っています。
 
 
 市庁舎と向かい合う建物は「王の家」と呼ばれています。16世紀前半にブリュッセルを統治した神聖ローマ帝国の皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の命で1515〜1536年にかけて建設されました。市庁舎と同じくフランボワイヤン様式になっています。
 
グラン・プラスに建つギルドハウス
グラン・プラスに建つギルドハウス
 グラン・プラスに並ぶギルドハウスは中世の頃には木造のものが多く、1695年のフランス軍による砲撃で市庁舎と王の家を残してほとんどが焼失してしまいました。
 
 フランス軍が撤退すると市民たちはすぐにグラン・プラスの再建にとりかかります。そして、4年余りで以前より美しい景観のグラン・プラスを再建しました。ちなみに中世の頃は番地がなかったのでそれぞれのギルドハウスは愛称で呼ばれていました。船頭のギルドハウスは「角笛」、パン屋のギルドハウスは「スペイン王」、小間物商のギルドハウスは「狐」という具合です。
 
グラン・プラスに建つブラバント公の館
グラン・プラスに建つブラバント公の館
 
 広場の一面を占める大きな建物はブラバント公の館と呼ばれています。壁に歴代のブラバント公爵の胸像が飾られているのが名前の由来です。一見、大きな建物に見えますが、実際は6軒のギルドハウスで構成されています。
 
幸運を招くセルクラースの像
幸運を招くセルクラースの像
 市庁舎と「星の家」と呼ばれる建物の間にある小さな道に入ってすぐのところにはセルクラースの像があります。彼は14世紀にフランドル伯の軍勢からブリュッセルを守った英雄です。
 
 この像に触れると幸せになると言われているので、像は絶え間なく観光客に触られて金色に輝いています。