ベネルクスの歴史


ブルゴーニュ公国の時代(1384〜1477年)


 今日ベネルクスと呼ばれているオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの三国は、かつてネーデルラントと呼ばれていました。これらの地域は、ローマ帝国、フランク王国の支配を経て、14世紀にはブルゴーニュ公国の領土に組み込まれます。
 
 1364年、フランス国王シャルル5世は弟のフィリップ・ル・アルディ(豪胆公)にブルゴーニュ(現在のフランス東部)を与えました。やがて、フィリップはフランドル伯(現在のベルギー北部)の娘と結婚し、1384年にフランドル地方という飛び地を継承します。
 
フィリップ・ル・ボン(オーストリア、ウィーンの王宮宝物館)
フィリップ・ル・ボン
シャルル・ル・テメレール(オーストリア、ウィーン美術時美術館)
シャルル・ル・テメレール
 
 
 3代目のフィリップ・ル・ボン(善良公)の時代には、ホラント伯領、ゼーラント伯領(それぞれ現在のオランダの一部)、ブラバント公領(現在のブリュッセルを含む地域)、ルクセンブルクなども領土に加えて、現在のベネルクスに相当するネーデルラント一帯を領有しました。
 
 4代目のシャルル・ル・テメレール(突進公)は、ブルゴーニュ公国の領土をさらに広げるために戦争を繰り返しました。しかし、1477年にナンシーでスイスの傭兵に敗北し、自らも命を落としてしまいました。
 
シャルル・ル・テメレールの娘マリー公女(ベルギー、ブルージュの聖血礼拝堂)
マリー公女
 シャルルは男子の後継者に恵まれなかったため、シャルルの戦死によって4代の君主が約100年に渡って統治したブルゴーニュ公国は終焉しました。
 
 ブルゴーニュ地方はフランスの領土に組み込まれましたが、ネーデルラントはシャルルの一人娘マリーがハプスブルク家のマクシミリアンと結婚したことにより、ハプスブルク家に継承されました。
 

BC58年 ユリウス・カエサル率いるローマ軍がネーデルラントを征服
476年 西ローマ帝国が滅亡
785年 ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂に飾られているカール大帝の騎馬像カール大帝のフランク王国がネーデルラントを支配
(写真はヴァチカンのサンピエトロ大聖堂に飾られているカール大帝の騎馬像
1096年 ベルギー、ブリュッセルのロワイヤル広場に立つロレーヌ公ドフロア・ド・ブイヨンの騎馬像第一次十字軍にロレーヌ公ゴドフロア・ド・ブイヨンが参加(〜1099年)
(写真はベルギー、ブリュッセルのロワイヤル広場に立つロレーヌ公ゴドフロア・ド・ブイヨンの騎馬像)
1302年 ベルギー、ブルージュのマルクト広場に立つヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの像ブルージュで民衆がフランスに対して蜂起し、「黄金の拍車戦争」がおこる
(写真はベルギー、ブルージュのマルクト広場に立つ反乱の指導者ヤン・ブレーデルとピーター・ド・コニングの像)
1337年 英仏百年戦争がはじまる(〜1453年)
1340年 イギリス国王エドワードがベルギーのゲントでフランス国王即位を宣言
1364年 フランス王シャルル5世が弟のフィリップ・ル・アルディ(豪胆公)にブルゴーニュを与える
1384年 フィリップ・ル・アルディがフランドルを領有
1404年 フィリップ・ル・アルディが死去、ジャン・サン・プール(無畏公)がブルゴーニュ公国を継承
1419年 ジャン・サン・プールが暗殺され、フィリップ・ル・ボン(善良公)がブルゴーニュ公国を継承
1429年 フィリップ・ル・ボンが金羊毛騎士団を設立
1430年 フランス、パリのルーヴル美術館の側に立つジャンヌ・ダルクの騎馬像フィリップ・ル・ボンがフランスのジャンヌ・ダルクを捕らえてイギリスに売り渡す
(写真はパリのルーヴル美術館の側に立つジャンヌ・ダルクの騎馬像)
1467年 フィリップ・ル・ボンが死去、シャルル・ル・テメレール(突進公)がブルゴーニュ公国を継承
1476年 3月、「グランソンの戦い」で、ブルゴーニュ軍がスイス軍に敗北
6月、「モラ(ムルテン)の戦い」で、ブルゴーニュ軍がスイス軍に再び敗北
1477年 シャルル・ル・テメレールが葬られているベルギー、ブルージュの聖母教会1月、「ナンシーの戦い」でブルゴーニュ軍がスイス軍に三度目の敗北を喫し、シャルル・ル・テメレールが戦死。
(写真はシャルル・ル・テメレールが葬られているベルギー、ブルージュの聖母教会
8月、シャルル・ル・テメレールの一人娘マリーとハプスブルク家のマクシミリアンが結婚し、ネーデルラントがハプスブルク家の支配下に入る