ベネルクスの歴史


ハプスブルク家の時代(1478〜1567年)


 ハプスブルク家のマクシミリアンとブルゴーニュ公国のマリー公女の結婚によって、ネーデルラントはハプスブルク家の領土となりましたが、同時にかねてからネーデルラントを狙っていたフランスを敵にまわすことになりました。
 
マクシミリアン1世(オーストリア、ウィーンの王宮宝物館)
マクシミリアン1世
マルガレーテ(ベルギー、メッヘレンのマルクト広場)
マルガレーテ
 
 
 マクシミリアンは、フランスとの戦いを有利に進めるためにスペイン王室と婚姻関係を結びます。一人息子のフィリップ美公はスペイン王女ファナと結婚し、二人の間には後にスペイン王、そして神聖ローマ帝国の皇帝に即位するカール5世が誕生します。
 
 また、マクシミリアンは宮廷をオーストリアのインスブルックに置き、ネーデルラントの統治はフィリップ美公に任せましたが、フィリップ美公は28歳で亡くなってしまいます。マクシミリアンは、その後任に一人娘のマルガレーテを任命し、フィリップ美公の遺児たちの養育も託しました。
 
カール5世の退位式(ベルギー、ブリュッセルの市庁舎に飾られているタペストリー)
カール5世の退位式
 メッヘレンに宮廷を置いたマルガレーテのもとで薫陶を受けたカールは、16歳でスペインの王位を継承します。
 
 そして、19歳のときにマクシミリアンの後を継いで神聖ローマ帝国の皇帝に即位し、カール5世を名乗ります。
 
 カール5世の領土はヨーロッパ全域からアメリカ大陸、フィリピン諸島など広大な範囲に及び、「太陽が沈むことのない世界帝国」と呼ばれました。
 
1478年 フィリップ美公の肖像画6月、マクシミリアンとマリーの間にフィリップ美公が誕生
(写真はフィリップ美公の肖像画)
1480年 マクシミリアンとマリーの間にマルガレーテが誕生
1482年 マリーが死去
1493年 マクシミリアンが皇帝に即位してマクシミリアン1世を名乗る
1496年 フィリップ美公がスペイン王女ファナと結婚
1497年 4月、マルガレーテがスペイン王子ファンと結婚
10月、スペイン王子ファンが死去
1500年 ベルギー、ゲントの町並みベルギーのゲントで、フィリップ美公とファナ王女の間にカール(後の皇帝カール5世)が誕生
(写真はベルギー、ゲントの町並み
1501年 マルガレーテがサヴォイ公フィリベルト2世と結婚
1503年 スペインで、フィリップ美公とファナ王女の間にフェルナンド(後の皇帝フェルディナント1世)が誕生
1504年 サヴォイ公フィリベルト2世が死去
1506年 フィリップ美公がスペインのブルゴスで死去
1507年 ベルギーのメッヘレンに建つマルガレーテの宮殿マクシミリアンがマルガレーテをネーデルラントの総督に任命
(写真はベルギーのメッヘレンに建つマルガレーテの宮殿
1516年 カールがスペイン王に即位してカルロス1世を名乗る(母ファナと共同統治)
1517年 ドイツでマルティン・ルターによる宗教改革がはじまる
1519年 マクシミリアン1世が死去、スペイン王カルロス1世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位してカール5世を名乗る
1526年 3月、カール5世がポルトガル王女イサベルと結婚
1527年 カール5世とイサベルの間にフェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)が誕生
1530年 ネーデルラント総督マリアの肖像画マルガレーテが死去、カール5世は妹マリアをネーデルラント総督に任命
(写真はネーデルラント総督マリアの肖像画)
1555年 カール5世がネーデルラントの支配を息子フェリペに譲る
1556年 カール5世が引退し、フェリペがスペイン王に即位(フェリペ2世)
1558年 カール5世がスペインのユステで死去
1567年 フェリペ2世がアルバ公爵をネーデルラントの総督に任命