フランス旅行記(ルーヴル美術館)


ルーヴル美術館(スペイン絵画)


 続いてはスペイン絵画のコレクションです。
 
 16世紀、スペインはハプスブルク家のフェリペ2世のもとでスペイン以外にポルトガルやネーデルラント、アメリカ大陸、フィリピン諸島などに広大な植民地を有していました。そして、この時代にスペインの文化も黄金時代を迎えました。
 
ルーヴル美術館に飾られている「キリスト磔刑(エル・グレコ」
キリスト磔刑(エル・グレコ)
 エル・グレコ(1541〜1614年)の「キリスト磔刑」は、1585〜1590年にかけて描かれたものです。彼は生涯に「キリスト磔刑」を何度も描きましたが、これは初期の頃の作品です。
 
 彼の本名は、「ドメニコス・テオトコプーロス」といいますが、クレタ島出身のギリシア人だったことから「エル・グレコ(ギリシア人という意味)」と呼ばれました。
 
 彼はヴェネチア、ローマで修行した後、1576年頃にスペインにやってきて、トレドを拠点に活動しました。
 
ルーヴル美術館に飾られている「えび足の少年(ホセ・デ・リベラ)」
えび足の少年(リベラ)
 イタリア半島南部のナポリ王国もスペインの領土でした。このナポリにはホセ・デ・リベラ(1591〜1652年)という画家がいました。
 
 リベラはスペインからイタリア半島に渡り、ローマでの修行時代にカラヴァッジオの影響を受けました。その後、ナポリに活動の場をうつし、生涯をこの地で過ごしました。
 
 1642年に描かれた「えび足の少年」は、リベラの代表作です。足が不自由にも関わらずたくましく生きるナポリの少年を描いたものです。
 
 広大な領土を支配して黄金時代を迎えていたスペインですが、フランスやトルコ、ネーデルラントのプロテスタントたちとの度重なる戦争によって、ついには莫大な戦費を支払うことができなくなり、1557年と1575年の2回にわたって破産宣告します。
 
 1588年には、スペインの無敵艦隊がイギリスのエリザベス女王が派遣したイギリス海軍に大敗北を喫します。
 
 フェリペ2世の跡を継いだフェリペ3世の時代の1609年には、ネーデルラント北部のオランダが長い独立戦争の末に独立してしまいます。
 
ルーヴル美術館に飾られている「乞食の少年(バルトロメー・ムリーリョ)」
乞食の少年(ムリーリョ)
 スペインは長引く戦乱で疲弊してしまい、さらに1647年にはペストが蔓延して人口が激減してしまいます。
 
 セビリア出身の画家バルトロメー・ムリーリョ(1617〜1682年)は、そんな荒廃したスペインで貧しい暮らしをする人々の姿を描きました。右の作品は蚤をとる少年を描いた「乞食の少年」です。
 
 1700年、ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世が世継ぎを残さずに亡くなり、オーストリアとフランスの間でスペイン継承戦争(1700〜1713年)がはじまります。その結果、フランス王ルイ14世の孫がフェリペ5世としてスペイン王に即位します。
 
ルーヴル美術館に飾られている「サンタ・クルス女侯爵(ゴヤ)」
サンタ・クルス女侯爵(ゴヤ)
 1786年、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828年)はフェリペ5世の後を継いだカルロス3世によって「国王付きの画家」に任命されます。
 
 右の「サンタ・クルス女侯爵」は、この「国王付きの画家」だった1797〜1798年にかけて描かれました。
 
 当時、貴婦人たちの間で流行したマハ風(伊達女)の衣装を着た女性がモデルとなっています。