フランス旅行記(パリ)


シテ島へ


 パリでの最初の朝です。朝食を済ませてホテルのロビーに集合します。バスに乗ってパリの市内観光に出発です。
 
 パリの地図を見るとパリはセーヌ川を境に北側と南側に分かれています。セーヌ川は東から西に向かって流れ、セーヌ川の上が右岸、下が左岸と呼ばれています。右岸は高級住宅地が集まって経済の中心となり、左岸は芸術・文化の中心となっています。
 

早朝のパリ市内
 
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早朝のパリ市内
 
 
 パリの歴史は古く、紀元前300年頃にセーヌ川に浮かぶシテ島にケルト人のパリシイ族が定住しました。彼らはこの地域を「水に囲まれた住まい」という意味の「ルテティア」と呼びました。
 
 紀元前52年頃、フランスをガリアと呼んでいたローマ帝国軍が侵攻してきます。ルテティアはガリア総督のユリウス・カエサルによって征服されました。やがて、ルテティアはパリシイ族の名前をとって「パリ」と呼ばれます。
 
 
 そのルテティアと呼ばれていたパリ発祥の聖地シテ島にやってきました。シテ島の前でバスをおりて徒歩で島に渡ります。
 
ノートルダム大聖堂
ノートルダム大聖堂
 シテ島の中心にはノートルダム大聖堂が建っています。フランスのゴシック建築の傑作と言われている建物です。
 
パリの中心を示すプレート
パリの中心を示すプレート
 ノートルダム大聖堂の正面の広場にはパリの中心を示すプレートがあります。
 
 道路などの距離を示す標識はここを起点として表示されています。
 
 シテ島にはカール大帝(フランス語ではシャルルマーニュ)の騎馬像が立っています。
 
カール大帝(シャルルマーニュ)の騎馬像
カール大帝の騎馬像
 カロリング朝フランク王国の2代目国王カール大帝は、現在のフランスやドイツをはじめ、ヨーロッパの大部分を支配しました。
 
 西暦800年、カール大帝はローマ教皇によって西ローマ帝国の皇帝に選ばれました。
 
 彼の死後、フランク王国は分裂し、やがてフランス王国や神聖ローマ帝国が誕生します。フランス王国と神聖ローマ帝国はお互いにカール大帝の正当な後継者を主張してヨーロッパの覇権を争いました。