フランス旅行記(ロワールの古城)
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シュノンソー城
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名残惜しいですが、30分程の散策の後、バスに乗ってシャンボール城を後にします。
シャンボール城の南西に向かって1時間あまり走り、シュノンソー城の近くまでやってきました。時間はちょうど12時、城の見学に向かう前に昼食タイムです。
昼食を終えた後は、いよいよシュノンソー城に向かいます。係員にチケットを渡して並木通りを歩きます。
並木通りを抜けると、静かに流れるシェール川の上に建つ優雅な城が姿をあらわします。

シェール川の上に建つシュノンソー城 |
シュノンソー城は、女性の城主が続いたことから「6人の奥方の城」とも呼ばれています。
13世紀以降、この辺りはアンボワーズのマルク家の封土でした。英仏百年戦争(1337〜1453年)の時代はイギリス軍に占領されていましたが、やがてジャンヌ・ダルクの助力を得たシャルル7世が奪還します。この頃、ここには城塞が建っていて、シェール川には跳ね橋が架かっていました。

マルク家の時代の
城塞 |
やがて、マルク家は財政難に陥り、この辺りの領地と城塞はノルマンディ地方財務総監のトマ・ボイエに売却されます。
トマ・ボイエはマルク家の時代の城塞を改築することを計画しますが、仕事が忙しくて城を留守にすることが多かったため、彼の妻カトリーヌ・ブリソネ夫人が改築の指揮を執りました。
当時の城は中心に太い柱が設置され、それを右回りに登る螺旋階段が主流でした。こうすれば、侵入した敵兵が階段を登るときに柱が影になり、武器を持つ右手も柱に邪魔されて守備側が有利に戦うことができました。
カトリーヌ夫人は、螺旋階段ではなく、真っ直ぐな階段を設置しました。これは、当時例のない斬新なアイデアでした。
城の周囲にはきれいに手入れされた庭園が広がっています。国王アンリ2世の正妻カトリーヌ・ド・メディシスと寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエによってつくられました。

カトリーヌ・ド・メディシスの庭園 |
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ディアーヌ・ド・ポワティエの庭園 |
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