フランス旅行記(パリ)


コンコルド広場


 チュイルリー庭園を真っ直ぐ抜けてコンコルド広場にやってきました。
 

コンコルド広場の噴水
コンコルド広場の噴水
 コンコルド広場は、国王ルイ15世のために1757〜1779年にかけてつくられました。
 
 完成当時はルイ15世の騎馬像が立ち、「ルイ15世広場」と呼ばれていたそうですが、1789年にフランス革命が勃発すると、像は破壊され、代わりにギロチン台が置かれました。広場の名前も「革命広場」に変えられました。
 
 1793年1月21日、チュイルリー宮殿からタンプル塔に移されていた国王16世が、ここで処刑されます。続いて10月16日には、コンシェルジュリーから連れてこられた王妃マリー・アントワネットが処刑されます。その他にも貴族や庶民を含めて1300人以上の人々がここで処刑されました。
 
 
 広場の中央にはオベリスクが立っています。紀元前1300年頃の古代エジプトでつくられたもので、1831年にエジプトの副王ムハメッド・アリから贈られました。
 
 反対側を振り向くとホテル・クリヨンと海軍省が建っています。
 
オベリスク ホテル・クリヨンと海軍省
ホテル・クリヨン(左)と海軍省(右)
 
← オベリスク
 
 
 1778年2月6日、ルイ16世はアメリカからベンジャミン・フランクリンを招き、当時宮殿だったクリヨンでアメリカと友好通商条約を結びます。これを機にフランスはアメリカの独立戦争に参戦しますが、莫大な戦費を注ぎ込んだため、財政を逼迫してしまいました。