フランス旅行記(パリ)
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アンヴァリッド
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グラン・パレとプチ・パレを抜けたところに豪華なアレクサンドル3世橋があります。
この橋もグラン・パレやプチ・パレと同じく、パリ万国博覧会のために1896〜1900年にかけて建設されました。橋の名前はフランスとロシアの友好を祝って、当時のロシア皇帝の名前から名づけられました。
この橋を渡ったところにアンヴァリッド(廃兵院)があります。

アレクサンドル3世橋とアンヴァリッド |
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アンヴァリッド |
17世紀の国王ルイ14世の時代、フランスはヨーロッパ各国と絶えず戦争を繰り広げていました。度重なる戦争でフランスは領土を拡大しますが、負傷兵も増えていきました。
ルイ14世は、こうした負傷兵や引退した兵士たちの面倒を見るために1671〜1676年にかけてアンヴァリッドを建設しました。
1789年7月14日、政治に不満をもつ民衆は、このアンヴァリッドを襲撃して武器を奪います。続いて、バスティーユ監獄を襲って弾薬を手に入れます。こうして、歴史上名高いフランス革命がはじまりました。

甲冑のコレクション |
アンヴァリッドは、現在は軍事博物館になっています。
ここもカルト・ミュゼで入ることができます。館内には武器や甲冑のコレクションが並んでいます。
軍事博物館で特に充実しているのがナポレオンに関するコレクションです。

「玉座のナポレオン1世」 |
右の肖像画は1階の展示室で見ることができる「玉座のナポレオン」です。ドミニク・アングルの作品です。
1804年にフランス皇帝に即位したナポレオンは、プロイセン、オーストリア、スペインなどを侵略してヨーロッパの大部分を征服します。
しかし、1812年にロシア遠征に失敗し、翌1813年のライプツィヒの戦いでヨーロッパ各国の連合軍に敗北しました。
1814年、かつてヨーロッパ全土を席巻したナポレオンは退位に追い込まれ、エルバ島に追放されます。下の絵画は退位直前のナポレオンを描いたものです。上の威厳に満ちた肖像画と比べると、随分疲れた様子ですね。

「退位直前のナポレオン」 |
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ナポレオンのデスマスク |
しかし、彼はまだあきらめていませんでした。
1815年、ナポレオンはエルバ島を脱出してパリに帰還、再び皇帝に即位します。これに対してヨーロッパの列強たちはすぐに行動をおこします。ナポレオンはワーテルローの戦いに敗れました。 |
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