フランス旅行記(パリ)


エトワール凱旋門


「レオ・ドリーブ/コッペリアのワルツ」
 
 再びシャンゼリゼ通りに戻ります。

 
シャンゼリゼ通り
シャンゼリゼ通り
 時計を見ると15時をまわり、集合時間の16時まであとわずかです。
 
 カフェで簡単な食事を済ませてエトワール凱旋門に向かいます。
 
 エトワール凱旋門はシャンゼリゼ通りの終着点のシャルル・ド・ゴール広場に建っています。
 第二次世界大戦時、パリはナチス・ドイツに占領されます。このとき、義勇軍を組織して戦い、パリを解放したのがシャルル・ド・ゴールです。
 
 かつて、この場所はエトワール広場と呼ばれていました。凱旋門を中心にシャンゼリゼ通りを含む12本の道が、星(エトワール)のように放射状に広がっていたためです。
 
エトワール凱旋門
エトワール凱旋門
 1805年12月2日、ナポレオン率いるフランス軍はアウステルリッツの戦いで、ロシアとオーストリアの連合軍に大勝利をおさめます。
 
 この勝利を祝ってナポレオンは古代ローマ帝国に倣った凱旋門の建設を命じます。
 
 凱旋門は1836年に完成しましたが、ナポレオンはすでにセント・へレナ島で亡くなっていました。
 1840年12月、ナポレオンの棺はこの凱旋門を通ってアンヴァリッドに運ばれました。
 
ラ・マルセイエーズ(フランソワ・リュード作)
ラ・マルセイエーズ
無名戦士の墓
無名戦士の墓
 
 
 凱旋門を飾っている「ラ・マルセイエーズ」はフランソワ・リュードの作品です。彼はリュクサンブール宮殿前に立つネイ元帥の像やオルセー美術館に飾られている「永久に目覚めるナポレオン」を手掛けた彫刻家です。
 
 1792年、王政を否定して共和制を唱えるフランスに対して、神聖ローマ帝国(オーストリア)とプロイセンが同盟を結び、フランス国境を脅かします。祖国の危機にマルセイユから駆けつけた義勇兵は、「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら出陣しました。この歌は現在のフランス国歌になっています。
 
 凱旋門のアーチの下には「無名戦士の墓」があります。
 
 1914年、オーストリアの皇太子フランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺され、第一次世界大戦が勃発します。
 1918年11月10日、ドイツが連合軍に降伏します。そして、翌11月11日にハプスブルク家のオーストリア皇帝カール1世が退位して第一次世界大戦が終結します。
 
 それから2年後の1920年11月11日、犠牲になった兵士を悼んで「無名戦士の墓」がつくられました。
 
 
 残念ながら、ここで時間切れです。名残惜しいですが、大急ぎでメトロに乗ってホテルに戻ります。ホテルからバスに乗って空港に向かいます。5日間のフランス観光は、これで終わりです。