フランス旅行記(パリ)
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リュクサンブール宮殿
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パリで過ごす最後の日がやってきました。16時までは自由行動なので、朝食を済ませて早速でかけます。
メトロを乗り継ぎ、ポール・ロワイヤル駅で降ります。駅を出てすぐの所に1体の像が立っています。ネイ元帥です。

ネイ元帥 |
ミシェル・ネイ(1769〜1815年)は、ナポレオンの元で活躍した勇敢な将軍で、「勇者の中の勇者」と讃えられました。
1814年、ナポレオンがエルバ島に流刑になると、王政復古によって国王に即位したルイ18世に仕えます。
翌1815年にナポレオンがエルバ島を脱出してパリに進撃すると、ルイ18世はネイにナポレオンの討伐を命じます。ところが、ナポレオンに再会したネイは、部下を率いてナポレオンに投降します。
その後、ナポレオンはワーテルローの戦いで敗れ、セント・ヘレナ島に流されます。ネイはルイ18世に捕らえられ、裏切り者として、1815年12月に銃殺されました。
その後、ナポレオン3世が皇帝に即位すると、ナポレオンの業績が再び評価されます。ネイはナポレオンに忠節を尽くした将軍として讃えられ、彼の死から38年後、彼が処刑されたこの場所に銅像が立てられました。
ネイ元帥の銅像の前を通り抜けて先に進むとリュクサンブール宮殿が姿をあらわします。ブルボン王朝の創始者アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシス(1573〜1642年)の宮殿です。

リュクサンブール宮殿 |
1600年、イタリアのトスカーナ大公の娘マリーはフランス王アンリ4世と結婚します。
1610年、アンリ4世がルーヴル宮殿の近くの通りで暗殺されます。アンリ4世の死後、ルーヴル宮殿に馴染めなかったマリーは、この場所に故郷フィレンツェのピッティ宮殿を模した宮殿を建設しました。
宮殿の周囲には広大な庭園が広がっています。この庭園は北東にあるソルボンヌ大学の学生たちの憩いの場になっています。庭園の東側の緑に囲まれた一角には「メディシスの噴水」があります。

リュクサンブール庭園
サロモン・ド・ブロスが手掛けた
メディシスの噴水 → |
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