ドイツ旅行記(ロマンティック街道)


ノイシュヴァンシュタイン城


「ワーグナー/ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 
 マリエン橋から城の全景を撮影したら、いよいよノイシュヴァンシュタイン城に向かいます。城までは狭い道を10分ほど歩きます。
 
 城への入場は予約制になっているので順番がくるまで中庭で待機です。しばらく待って順番が回ってきたら係の人について入場します。
 
ノイシュヴァンシュタイン城の入口
城の入口
 
城の中庭 →
ノイシュヴァンシュタイン城の中庭
 
 
 城の内部は写真撮影が禁止されています。ショップで購入した絵ハガキを使ってメインの部屋を紹介すると、、、
 
 入場して最初に向かう4階には「玉座の間」があります。床は動物や植物をモチーフにしたタイルが敷き詰められています。天井からは王冠の形をした900キロのシャンデリアが吊るされています。ロウソクの交換や掃除のためにウィンチで上下に動かせるようになっています。
 
ノイシュヴァンシュタイン城の「玉座の間」
ノイシュヴァンシュタイン城の「玉座の間」
ノイシュヴァンシュタイン城の「玉座の間」
 
 
 大理石の階段の上には、玉座が置かれる予定でしたが、完成前に国王ルートヴィヒ2世が亡くなったため、空いたままになっています。
 
 
 「玉座の間」の後は、「国王の寝室」、「国王の執務室」などを見学し、5階に向かいます。ここには「歌人の間」があります。国王の生前には1度も使われませんでした。
 
ノイシュヴァンシュタイン城の「歌人の広間」
ノイシュヴァンシュタイン城の「歌人の広間」
 
 「歌人の間」を見学した後は、2階と3階を素通りして1階に下ります。1階には「調理場」があります。お湯と水の両方が出る水道やオーブンの余熱による食器保温器、食事を国王の部屋に届けるためのリフトなど、当時の最新技術が導入されています。
 
 国王ルートヴィヒ2世は、1868年にノイシュヴァンシュタイン城の建設に着工しますが、1874年にリンダーホーフ城、1878年にヘレンキームゼー城、と立て続けに城の建設に着工します。城の建設は財政を圧迫し、王室の1年間の収入550万マルクに対して借金は2100万マルクに達したと言われています。
 
 さらに国王は、1885年にファルケンシュタイン城の建設を計画します。1886年6月、バイエルン政府は、「国王は精神的な障害があって王国の統治は不可能」と判断をくだし、国王を拘束します。
 
 1886年6月13日、国王は幽閉先のシュタルンベルク湖で謎の死を遂げます。国王の死によってノイシュヴァンシュタイン城は未完成に終わりました。ただし、国王の居住部分は彼の生前に完成していて、172日間だけ滞在したそうです。