イタリア旅行記(ヴァチカン市国)
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システィーナ礼拝堂
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ヴァチカン博物館のハイライト、システィーナ礼拝堂です。この礼拝堂の目玉はミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1563年)のフレスコ画です。しかし、この礼拝堂では写真撮影が禁止されています。なので、ここでは購入した絵ハガキを使って紹介していきたいと思います。
システィーナ礼拝堂は、当時のローマ教皇シクストゥス4世によって1477〜1483年にかけて建設されました。礼拝堂の名前は彼に因んでいます。以来、ここはローマ教皇を決める選挙(コンクラーベ)の会場になっています。

システィーナ礼拝堂 |
1508年、シクストゥス4世の甥にあたるローマ教皇ユリウス2世は、自身の霊廟を作らせるために招いていたミケランジェロに天井画の製作を依頼します。
ミケランジェロは「私は画家ではなく彫刻家だから、、、」と言ってフレスコ画を描くことを拒否しましたが、度重なる説得にしぶしぶ応じました。
不本意ながら引き受けた仕事でしたが、ミケランジェロは驚異的な集中力で天井画の製作に取り組みます。

ミケランジェロが描いた天井画
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1508〜1512年にかけて描かれたこの天井画は、旧約聖書の創世記を題材にした場面が描かれています。「光と闇の分離」、「日と月の創造」、「海と陸の分離」、そして「アダムの創造」と続きます。「アダムの創造」は特に有名な作品です。神様が自分の姿に似せて創造したアダムに、指先から生命を注いでいます。

アダムの創造
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それから、「イヴの創造」、「原罪と楽園からの追放」、「ノアの献身」、「ノアの洪水」、「ノアの泥酔」と続きます。

デルフォイの巫女
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創世記のフレスコ画の周りには、旧約聖書に登場する預言者や巫女のフレスコ画が描かれています。
特に人気が高いのが「デルフォイの巫女」です。この作品はミケランジェロが天井画の中で最初に描いた巫女だそうです。
彼女は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代の巫女で、キリスト教の伝承によれば、彼女は「やがて処女が男子を身ごもり、その子は全世界の王になるだろう」と予言したと伝えられています。
これらの天井画が一般に公開されたとき、人々は「超人の偉業」、「神のごときミケランジェロ」と絶賛しました。ローマ教皇ユリウス2世は、この天井画の完成を見届けた翌年の1513年2月に70歳で世を去りました。
それから24年が過ぎた1536年、ミケランジェロは再びシスティーナ礼拝堂で制作活動に取り掛かります。それが祭壇の奥の壁一面に描かれている「最後の審判」です。

最後の審判
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1517年にドイツで始まったカトリック教会を痛烈に批判する宗教改革の嵐は、またたく間にヨーロッパ全土に広まりました。そして、1527年にローマはドイツの傭兵たちに劫略されてしまいます。
失墜したカトリック教会の権威を取り戻す必要に迫られたローマ教皇パウルス3世はミケランジェロに祭壇画の製作を依頼します。この祭壇画は、5年の歳月を経て、1541年にようやく完成しました。 |
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