イタリア旅行記(ローマ)
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ボルゲーゼ美術館
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カピトリーノ美術館の後はボルゲーゼ美術館に向かいます。ボルゲーゼ美術館は2時間ごとの完全予約制です。私はあらかじめ17時〜19時の時間帯で予約しておきましたが、荷物を預けたりチケットを受け取ったりする必要があるので16時30分を目標にボルゲーゼ美術館に向かうことにします。
カピトリーノ美術館からボルゲーゼ美術館までは結構な距離があります。しかし、古代ローマの遺跡が集まっているカピトリーノ美術館の周辺には地下鉄が通っていないので、歩いて美術館に向かいます。

アウレリアヌス城壁とピンチアーナ門 |
カピトリーノ美術館から30分ほど歩き続けて、ようやくピンチアーナ門に到着しました。ピンチアーナ門の先にはボルゲーゼ公園があり、その一角に目指すボルゲーゼ美術館が建っています。
ローマの地図を見るとよく分かりますが、ボルゲーゼ公園はとても広いです。公園に入ってからも美術館までは暫く歩くことになります。
ところでこのピンチアーナ門ですが、この門はローマの市内をぐるりと囲んでいたアウレリアヌス城壁に設けられた門の中の1つです。アウレリアヌス城壁は名前の通り、アウレリアヌス帝(在位270〜275年)によって271〜275年にかけて建設されました。
五賢帝の時代には平和を謳歌したローマ帝国も五賢帝最後のマルクス・アウレリウス帝亡き後は徐々に衰退に向かい、たびたび異民族の侵入を受けるようになってしまいました。首都のローマも安全ではなくなったため、アウレリアヌス帝は19キロメートルに渡ってローマをぐるりと城壁で囲みました。

ボルゲーゼ美術館 |
ボルゲーゼ美術館に到着したら、正面にある階段を下りたところにある受付で予約番号を伝えて入場券を受け取ります。
同じフロアにショップもあるので、あらかじめ日本語のガイドブックを購入して、その説明を見ながら鑑賞するのもお勧めです。
ちなみに、この美術館では写真撮影が禁止されています。中に持ち込めるのは貴重品とガイドブックくらいです。
地下のクロークで荷物を預けたら、一度外に出て正面の外階段から1階の入口に向かいます。予約した17時になったら係員が扉を開けてくれます。美術館は1階と2階に分かれていますが、あまり部屋数もないので2時間あれば十分に見学できます。
部屋数は少ないですが、ここにはローマ教皇も輩出した名門ボルゲーゼ家が巨万の富を費やして収集した素晴らしい作品が揃っています。残念ながら写真撮影が禁止されているので、購入した絵ハガキを使って作品の一部を紹介したいと思います。

プルトンとプロセルピナ |
「プルトンとプロセルピナ(1621〜1622年)」は、ベルニーニが20代前半に製作した作品です。
モチーフになっているのは冥界の王プルトンが大地の女神ガイアの娘プロセルピナを見初めて冥界へ連れ去る場面です。
大地の女神ガイアは、全能の神ユピテル(ジュピター)に懇願して娘が一年の半分だけ地上に戻ることができるよう約束を取り付けます。こうして、毎年春になるとプロセルピナを迎えるために地上に花が咲き乱れるようになったと言われています。
ベルニーニは、ローマ教皇パウルス5世の甥シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼を受けて「プルトンとプロセルピナ」に続く新しい作品にとりかかります。

アポロンとダフネ |
それがこの美術館を代表する傑作「アポロンとダフネ(1622〜1625年)」です。
キューピッドに恋心が芽生える黄金の矢を射られたアポロンはダフネに恋をします。ところが、ダフネは恋を消す鉛の矢を射られていました。
アポロンはダフネを追いかけ、追いつかれたダフネは彼から逃れるために月桂樹に変身しようとしています。
このギリシャ神話の一場面を題材とした作品は、人々から「芸術の奇跡」と賞賛されました。

ダヴィデ像 |
「ダヴィデ像(1623〜1624年)」もベルニーニがシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼を受けて製作した作品です。
作品のモデルになっているのは、旧約聖書の英雄で後にイスラエルの王になるダヴィデが巨人ゴリアテに投石で立ち向かおうとしている場面です。
ダヴィデの足元には、竪琴が置かれていますが、これはダヴィデが武勇だけの人物ではなく竪琴の名手であったこともあらわしています。
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