イタリア旅行記(ヴェネチア)
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サンマルコ広場
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今日はヴェネチアを観光します。朝食を済ませたら荷物をまとめてホテルをチェックアウトします。そして、水上バスのヴァポレットに乗り込んでヴェネチアの中心、サンマルコ広場に向かいます。

ヴァポレットでサンマルコ広場へ |
ヴァポレットからの眺めを楽しんでいるうちに、やがて高い鐘楼が建つサンマルコ広場が見えてきました。
サンマルコ広場の近くでヴァポレットを下りたら徒歩でサンマルコ広場に向かいます。途中、「ため息の橋」の前を通りましたが、修復中のようで周りがシートで覆われていました。

ため息の橋 |
この橋はドゥカーレ宮殿と牢獄を結ぶために16世紀につくられました。
有罪判決を受けて牢獄へ送られたり、尋問されるために牢獄から裁判所へ引き出される囚人たちが、ため息をつきながらこの橋を渡ったと言われています。
18世紀、希代のペテン師と言われたジャコモ・カサノヴァもこの牢獄に収監されましたが、脱獄に成功し、後にこの牢獄での生活を回想録に記しています。
ため息の橋を撮影したら、サンマルコ広場の見学です。海に向かって開かれた玄関口には2つの柱が立っています。一方の柱にはヴェネチア共和国のシンボルである翼を持つライオン像があり、もう一方にはヴェネチア共和国の守護聖人である聖テオドーロの像が立っています。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 |
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ヴェネチアの玄関口 |
観光地として有名なヴェネチアですが、この町はこれまでに訪れたフィレンツェやピサ、そしてこれから訪れる予定のヴェローナやミラノと異なり、計画的に建設された町ではありませんでした。
言い伝えによると、ローマ帝国末期の452年、北方から侵略してきたフン族に追われた人々は必死の思いで湿地帯に逃れました。それから24年後の476年にローマ帝国は滅亡しますが、湿地帯に逃れた人々はたくましく生き抜いていきました。彼らは湿地帯に杭を打ち込んで石を敷き、その上に家を立てて町を建設していきました。
当初は漁などで生計を立てていた人々も、やがてイタリア半島本土と交易を行うようになり、操船や造船の技術が発達してくると大型船をつくって遠くの国々とも交易を行うようになっていきます。
697年、最初の総督(ドージェ)が誕生し、ヴェネチアは共和制を確立します。ヴェネチア共和国はコンスタンティノープル(現在のトルコ領イスタンブール)を都とするビザンティン帝国の庇護を受けて国力を蓄え、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィと肩を並べる海洋国家に成長しました。

サンマルコ寺院と鐘楼 |
サンマルコ広場に建つサンマルコ寺院は、ローマやフィレンツェ、ピサで見た聖堂とは異なり、ビザンティン様式の影響を受けています。828年に着工され、その後も増改築を繰り返して現在のは3代目だそうです。
サンマルコ寺院の前には大きな鐘楼が建っています。この鐘楼は2代目で、1902年に突然崩れてしまったため、1912年に再建されました。
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