イタリア旅行記(ミラノ)
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スフォルツァ城
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いよいよ最後の観光地、ミラノです。
ミラノの歴史は古く、紀元前4世紀頃にロンバルディア平原の中央に位置するこの場所にケルト人がメディオラヌム(平原の真ん中という意味)と呼ばれる町を築きました。紀元前222年にローマ帝国の支配下に入り、ローマ帝国の主要な都市の1つとして発展しました。
さて、ホテルを出発して最初にやってきたのは、スフォルツァ城です。

スフォルツァ城 |
スフォルツァ城は、13世紀後半から15世紀にミラノ公爵として君臨したヴィスコンティ家とスフォルツァ家の居城でした。
ミラノは、ローマ帝国末期の異民族の侵入によって荒廃しましたが、徐々に復興し、11世紀頃にはコムーネ(自治都市)の地位を獲得しました。
13世紀後半にはヴィスコンティ家が権力を握り、1360〜1370年にかけて居城の建設に着手しました。その後、ヴィスコンティ家に代わってスフォルツァ家がミラノの新たな支配者となり、彼らによってさらに城は拡張されました。
1535年にスフォルツァ家の家系が絶えると、ミラノはスペイン系ハプスブルク家の支配下に入り、1737年以降はオーストリア系ハプスブルク家の支配下に入ります。1796〜1814年にかけて、ミラノは一時的にナポレオン率いるフランス軍に征服され、スフォルツァ城は大きなダメージを受けました。

↑ スフォルツァ城の中庭
カルミニ大塔 → |
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その後、ミラノはオーストリアの再度の支配を経て、イタリア王国に組み込まれていきます。破壊されたスフォルツァ城は1896〜1906年にかけてルーカ・ベルトラーミという建築家によって修復され、現在に至っています。

スフォルツァ城の跳ね橋 |
スフォルツァ城のまわりには、かつての空堀の名残があり、東門には跳ね橋も復元されています。
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