イタリア旅行記(ミラノ)


ブレラ美術館


 ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見学した後は、ブレラ美術館に向かいます。ブレラ美術館の門をくぐったところにはアントニオ・カノーヴァが手がけたナポレオンの像が立っています。
 
 1797年、ナポレオン率いるフランス軍がオーストリア軍を破ってミラノに入城します。ナポレオンはイタリア各地から収集した美術品をこの建物に集め、自身の40歳の誕生日にあたる1809年8月15日に一般公開しました。
 
ブレラ美術館
↑ ブレラ美術館
ナポレオン1世の像 →
ナポレオン1世の像(アントニオ・カノーヴァ)
 
 
 ナポレオンの銅像が立つ中庭を通り抜けて2階にあがったところが美術館の入口です。この美術館も内部の写真撮影が禁止されているので、売店で購入した絵ハガキを使って作品を紹介します。
 
 
 最初に紹介するのは、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1415または1420〜1492年)が1472〜1474年にかけて描いた「モンテフェルトの祭壇画」です。
 
モンテフェルトロの祭壇画(ピエロ・デラ・フランチェスカ)
モンテフェルトロの祭壇画
(フランチェスカ)
 この作品は、ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトの依頼で描かれたもので、もともとはウルビーノのサン・ベルナルディーノ教会に飾られていました。
 
 作品の右下で跪いている甲冑を来た人物がウルビーノ公フェデリコです。
 
 天井からぶら下がっているのはダチョウの卵です。これはイエスの誕生を意味しているそうです。そして、幼子イエスが胸にかけている珊瑚の首飾りは復活を意味しているそうです。
 
 
 続いての作品は、アンドレア・マンテーニャ(1431〜1506年)が1497年頃に描いた「死せるキリスト」です。彼は若干29歳でマントヴァ侯爵ロドヴィコ・ゴンザーガに宮廷画家として招かれるほどの才能の持ち主でした。
 
死せるキリスト(アンドレア・マンティーニャ)
死せるキリスト(マンティーニャ)
 死んだキリストを足元から描いている珍しい構図のこの作品は、マントヴァのサンタンドレア教会にある自身の墓に飾るために描かれた作品ではないかと言われています。
 
 続いては、ベリーニ兄弟が1504〜1507年にかけて描いた「アレクサンドリアにおける聖マルコの説教」です。この作品は当初、ジェンティーレ・ベリーニ(1429〜1507年)が描き始め、彼が亡くなった後は、弟のジョヴァンニ・ベリーニ(1430〜1516年)が引継いで仕上げました。
 
アレクサンドリアにおける聖マルコの説教(ジェンティーレ・ベリーニとジョヴァンニ・ベリーニ)
アレクサンドリアにおける聖マルコの説教(ベリーニ兄弟)
 
 壇上で説教しているのは、ヴェネチアの守護聖人になっている聖マルコです。そして、背後に描かれている教会は、ヴェネチアのサンマルコ寺院がモデルになっています。