ローマ帝国


アウグストゥス(BC63〜14)


 元老院は、カエサルの暗殺によってローマの共和政が守られたと考えましたが、予想に反してカエサルの人気は高く、ローマ市民たちは暗殺者たちを非難しました。
 
 そのため、元老院は政治の実権を取り戻すことができず、カエサルの甥オクタウィアヌス、カエサルの腹心マルクス・アントニウス、カエサルの同僚だったレピドゥスによる第二次三頭政治がはじまります。
 
アウグストゥス(ヴァチカン博物館)
アウグストゥス
 オクタウィアヌスとアントニウスは協力してカエサルの仇討ちを行いますが、仇討ちが終わるとカエサルの後継者の地位を巡って争います。
 
 紀元前31年、オクタウィアヌス軍はギリシャ北部で行われたアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合軍を破ります。
 
 ライバルたちを降して内乱を終結させたオクタウィアヌスに対して、元老院は「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を授けます。
 
 ローマ最大の実力者として実質的に初代ローマ帝国の皇帝となったオクタウィアヌスですが、彼はカエサルの暗殺を間近で見ていただけに、独裁者を嫌う元老院に対して慎重に行動しました。
 
 彼は皇帝を名乗らず、あくまで「市民の中の第一人者」であることを強調しながら、巧みに権力を一手に握っていきました。彼は法の整備、官僚機構の整備、都市の整備に取り組み、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」を実現しました。
 

BC63年 オクタウィアヌスが誕生
BC45年 オクタウィアヌスがカエサルの養子になる
BC44年 3月15日、カエサルが暗殺される
BC43年 オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる三頭政治がはじまる(第二次三頭政治)
BC42年 オクタウィアヌスとアントニウスの連合軍がフィリッピの戦いでカエサルを暗殺したブルートゥスとカシウスの軍勢に勝利
BC39年 オクタウィアヌスがリウィアと結婚
BC31年 オクタウィアヌスがアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの軍勢に勝利
BC30年  オーストリアのウィーン美術史美術館に展示されている「クレオパトラの死(グィド・カニャッチ画)」アントニウスとクレオパトラが自殺。オクタウィアヌスがエジプトを平定
(写真はオーストリアのウィーン美術史美術館に展示されている「クレオパトラの死」
BC27年  オクタウィアヌスが元老院からアウグストゥスの称号を受ける
アグリッパが建設したイタリア・ローマのパンテオンアグリッパがパンテオンを建設
(写真はローマに建つパンテオン
BC19年  アクア・ヴェルジネを引き込んだトレビの泉アグリッパがアクア・ヴェルジネ(処女の泉)を引き込んた水道を建設
(写真はアクア・ヴェルジネを引き込んだトレビの泉
BC12年 アグリッパ、死去
4年 アウグストゥスがティベリウスを養子にする
9年 ウァルス率いるローマ軍がゲルマニアでアルミニウス軍に敗北
14年 ローマにあるアウグストゥス帝の霊廟アウグストゥス、死去。ティベリウスがローマ皇帝に即位
(写真はローマにあるアウグストゥス帝の霊廟