ローマ帝国
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ディオクレティアヌス(244〜311)
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セプテミウス・セヴェルスが亡くなった211年からディオクレティアヌスが即位する284年までの73年間はカラカラをはじめとして22人もの皇帝が即位しては非業の死を遂げた「3世紀の危機」と呼ばれる混乱の時代に突入します。

ディオクレティアヌス帝 |
ディオクレティアヌスは父親が元奴隷という身分だったため軍隊で苦労しましたが、誠実に任務を努めて出世を重ね、皇帝ヌメリアヌスの親衛隊長にまで登りつめます。
そして、283年にヌメリアヌスが殺害されると、彼は将兵によってローマ皇帝に推挙されました。
ディオクレティアヌスは優れた統率力発揮して、長い戦乱で疲弊したローマ帝国の再建に取り組みます。しかし、大きくなりすぎたローマ帝国の統治は皇帝1人で担うことはできませんでした。

ディオクレティアヌスと
共治帝たち |
ディオクレティアヌスはローマ帝国を4つに分割して2人の正帝(1人は彼自身)と2人の副帝で統治することを考案します。
現在、ヴェネチアのサンマルコ広場の一角では4人の皇帝たちがしっかりと肩を組んでいる像を見ることができます。この4分割統治はうまく機能してローマ帝国が外敵に襲われることは、ほとんどなくなりました。
260年 |
ガリアがローマ帝国から独立 |
270年 |
皇帝アウレリアヌスがローマを囲むアウレリアヌス城壁の建設を開始
(写真はローマに建つアウレリアヌス城壁のピンチアーナ門) |
アウレリアヌス、ダキア属州を放棄 |
272年 |
アウレリアヌス、パルミラを攻略 |
273年 |
アウレリアヌス、ガリアを再征服 |
278年 |
皇帝 プロブスがガリアから蛮族を撃退
(写真はローマのカピトリーノ美術館に飾られているプロブスの胸像) |
284年 |
ディオクレティアヌス、ローマ皇帝に即位 |
293年 |
ディオクレティアヌス、ローマ帝国を4分割 |
298年 |
ディオクレティアヌス、ローマに浴場を建設(〜305年)
(写真はローマに建つディオクレティアヌスの浴場) |
303年 |
ディオクレティアヌス、ローマを訪問 |
304年 |
ディオクレティアヌス、キリスト教禁止令を発布 |
305年 |
ディオクレティアヌスが退位してスプリットに隠遁
(写真はディオクレティアヌスが隠遁生活を送ったクロアチアのスプリットに建つ宮殿跡) |
311年 |
ディオクレティアヌス、死去 |
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