ローマ帝国


ユリウス・カエサル(BC100〜BC44)


 共和政末期、ローマに一人の英雄が登場します。ユリウス・カエサルです。
 
 カエサルは、当時のローマで名を上げていたポンペイウス、クラッススと手を組んで三頭政治を開始しますが、紀元前58年には総督としてガリアに赴任します。
 
ユリウス・カエサル(オーストリアのウィーン美術史美術館)
ユリウス・カエサル
 当時、ガリアには多くの民族が割拠していました。カエサル率いるローマ軍はこれらの民族を各個撃破していきます。
 
 8年に及んだカエサルのガリア戦役のクライマックスは紀元前52年のアレシアの攻防です。
 
 ウェルキンゲトリクスの元に集結したガリアの部族たちは30万に及ぶ大軍となりました。この大軍に対してカエサル率いるローマ軍は5万程度でしたが、カエサルの鮮やかな采配により大勝利をおさめました。
 
 ガリアを平定し、さらにブリタニアにも勢力を拡大したカエサルの権勢は不動のものとなりました。これを警戒したライバルのポンペイウス(クラッススはすでに死去)と元老院はカエサルを「国家の敵」として討伐しようとします。
 
 これに対してカエサルは「賽は投げられた」の言葉とともに軍勢を率いてルビコン川を渡り、ローマに進軍します。紀元前49〜前45年に及んだこの内乱はカエサルの勝利で終わり、ポンペイウスは逃亡先のエジプトで殺害されます。
 
ユリウス・カエサルの暗殺(オーストリア・ウィーンの歴史博物館)
ユリウス・カエサルの暗殺
 ポンペイウスを破ってローマ最大の実力者となったカエサルに対して、元老院はカエサルが王になろうとしているのではないかと警戒し、暗殺という手段に出ました。
 
 運命の紀元前44年3月15日、元老院会議の会場に姿を現したカエサルを十数人の刺客が取り囲み、一斉に切りかかりました。

BC100年 カエサルがローマで誕生
BC88年 マリウス(カエサルの叔父)とスッラの抗争が始まる
BC86年 マリウス、死去。キンナの独裁が始まる
BC84年  カエサル、キンナの娘と結婚
キンナが部下に殺害される
BC82年 スッラがマリウス派の軍勢を破ってローマを制圧
カエサルが小アジアに亡命
BC78年 スッラ、死去。カエサルがローマに帰国
BC73年 剣闘士スパルタクスの反乱(〜BC71年)
BC60年 カエサル、ポンペイウス、クラッススによる三頭政治が始まる
BC58年 カエサルがガリア総督に就任してガリア戦役が始まる
BC55年 ドイツを流れるライン川カエサル率いるローマ軍がライン川を渡る
(写真はドイツを流れるライン川
BC53年 クラッスス、カッレの戦いでパルティア軍に敗北して戦死
BC52年 カエサル、アレシアの戦いでウェルキンゲトリクスに勝利
BC49年  カエサルの権勢を警戒したポンペイウスと元老院がカエサルを「国家の敵」と宣告
カエサル率いる軍勢がルビコン川を渡る。ポンペイウス派はローマから逃亡する
BC48年 8月、カエサルがファルサルスの戦いでポンペイウスに勝利。ポンペイウスはエジプトに逃亡するがアレキサンドリアで殺害される
BC47年 カナダ・ヴィクトリアのロイヤル・ロンドン・ロウ人形館に飾られているクレオパトラのロウ人形カエサル、エジプトでプトレマイオス13世の軍勢に勝利。クレオパトラのエジプト統治が始まる
(写真はカナダ・ヴィクトリアのロイヤル・ロンドン・ロウ人形館に飾られているクレオパトラのロウ人形)
BC46年 カエサル、アフリカに上陸してタプソスの戦いでポンペイウス派の軍勢に勝利
BC45年 カエサル、スペインに進軍してムンダの戦いでポンペイウス派の軍勢に勝利
BC44年 3月15日、カエサルが暗殺される