チェコ旅行記


聖イジー教会と黄金小路


 旧王宮の見学の後は聖イジー教会に向かいます。聖イジーは聖ゲオルギウスのチェコ語読みです。この教会は、もともとは920年にヴラディスラフ公によって建設されましたが火災で焼失し、1142年に再建されました。さらに、18世紀にバロック様式で改築されて現在に至っています。
 
聖イジー教会
聖イジー教会
新司教座聖堂参事会
新司教座聖堂参事会
 
 聖イジー教会の外観はバロック様式ですが、内部はロマネスク様式になっています。ここには聖イジー教会を建設したヴラディスラフ公(在位915〜921年)の棺が安置されています。彼は聖ヴァーツラフの父親です。
 
聖イジー教会の内部
聖イジー教会の内部
ヴラディスラフ公の棺 →
ヴラディスラフ公の棺
 
 この教会には、ヴラディスラフ公の他に初代ボヘミア公ボジヴォイ1世の王妃だった聖ルドミラも葬られています。また、地下には歴代のプシェミルス家の国王が葬られています。
 
聖イジー教会の隣にある旧貴婦人学校
聖イジー教会の隣にある旧貴婦人学校
聖イジー通りから黄金の小路へ →
聖イジー通りから黄金小路へ
 
 聖イジー教会を見学した後は、旧貴婦人学校との間にある小道を進みます。これは聖イジー通りと呼ばれています。旧貴婦人学校は、マリア・テレジア女帝が皇族女子のために造った学校だったそうです。この先に観光名所になっている「黄金の小路」があります。
 
 
 100メートルほどの「黄金の小路」にはカラフルな家が並んでいて、内部は土産物屋や博物館になっています。16世紀に皇帝ルドルフ2世がプラハ城の番兵たちの住居として建設したのが始まりです。当初は木造でしたが、マリア・テレジア女帝の時代に石造りの住居に建て替えられました。
 
黄金の小路
黄金の小路
 
 「黄金の小路」という名前の由来は、ルドルフ2世がここに錬金術師が住まわせて黄金や不老長寿の薬を作らせていたからだと言われています。他に、火災で住居を失った金細工の職人たちがここに移り住んだためという説もあります。
 
フランツ・カフカが執筆活動をした家
フランツ・カフカが執筆活動をした家
 特に有名な建物が22という番号が書かれている水色の建物です。ここは1916年11月から1917年7月までフランツ・カフカ(1883〜1924年)が仕事部屋として利用した邸宅です。
 
 裕福なユダヤ人の家庭に生まれたカフカは、プラハ大学を卒業してから王立の保健局に就職しました。彼は、仕事が終わるとこの部屋で執筆活動に励み、「変身」などの作品を発表しました。
 
 小路の一番手前にある建物の入口には鎧をまとった騎士が立っています。ここから2階にあがると中世の武器や鎧の展示室があります。小路に並ぶ住居の2階部分を繋いで細長い展示室になっています。出入り口は1つだけなので、奥まで見学した後はここまで戻ってくる必要があります。
 
中世の武器や鎧の展示室
中世の武器や鎧の展示室
 
←↑ 中世の武器屋鎧の展示室
 
 黄金の小路を通り抜けて少し進むと東門があります。この東門を出てすぐのところは広場になっていて展望台があります。多くの観光客がここからプラハの町並みを眺めていますが、現地ガイドさんから「ここにはスリが多いので貴重品、パスポートに気を付けてください」との注意がありました。ちなみに、この展望台は中世の頃は処刑場として利用されていたそうです。
 
東門を出てプラハ市街へ
プラハの町並み
プラハの町並み
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