オーストリア旅行記


王宮周辺の散策


「ヨハン・シュトラウス1世/ラデツキー行進曲」
 
 王宮宝物館を出てヨーゼフ広場にやってきました。ここにはマリア・テレジア女帝の長男ヨーゼフ2世の騎馬像が立っています。ヨーゼフ2世は月桂冠をかぶってトーガをまとった古代ローマ帝国の皇帝の姿をしています。
 
国立図書館前に立つヨーゼフ2世の騎馬像
国立図書館前に立つヨーゼフ2世像
 ヨーゼフ2世は、父帝フランツ・シュテファンが崩御すると皇帝に即位してマリア・テレジア女帝の共同統治者となりました。
 
 彼は、啓蒙専制君主を代表する1人とされています。農奴解放令、宗教寛容令、拷問の廃止などの画期的な政策を推進しましたが、性急すぎたために周囲の反発を招いて上手くいきませんでした。
 
 ヨーゼフ2世像の背後には 国立図書館 があります。豪華な天井画や彫刻で飾られていて世界で最も美しい図書館と言われています。
 
 来た道を戻って新王宮の前を通り抜けます。新王宮の前にはオイゲン公の騎馬像が立っています。対トルコ戦争やフランスとのスペイン継承戦争で活躍したオイゲン公は、先ほど見学したシュテファン大聖堂に葬られています。
 
新王宮
新王宮
オイゲン公の騎馬像 →
オイゲン公の騎馬像
 
 オイゲン公の騎馬像の向かい側にはカール大公(1771〜1847年)の騎馬像が立っています。カール大公は神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の弟です。オーストリア軍を率いてフランス軍と戦い、1809年の「アスペルンの戦い」ではナポレオン率いるフランス軍に勝利しました。
 
 オイゲン公の騎馬像もカール大公の騎馬像も前足をあげて棹立ちになっています。オイゲン公の騎馬像は馬の尻尾で支えられていますが、カール大公の騎馬像は後ろ足のみで立っています。この見事なバランスの騎馬像はドミニク・フェルンコルンという彫刻家の作品ですが、彼自身は騎馬像がバランスを失って倒れる夢にうなされて精神に異常をきたしてしまったそうです。
 
カール大公の騎馬像
王宮への入口、ブルク門
リンク通りから王宮への入口、ブルク門
← カール大公の騎馬像
 
 オイゲン公の騎馬像とカール大公の騎馬像の間を通っている道を進むとブルク門が見えます。この門を抜けると王宮の敷地から外に出ます。
 
 
 王宮の敷地を出る前にもう1ヶ所だけ見学します。ブルク門の手前で左に曲がると、新王宮の裏側にあたるエリアに王宮庭園が広がっています。1918年にハプスブルク家がウィーンを去るまでは、この庭園は皇室専用でした。王宮庭園に向かい合う形で、カール大公騎馬像の背後に広がるエリアはフォルクス庭園と呼ばれていて、こちらは一般市民に開放されていました。
 
 王宮庭園には、モーツァルト(1756〜1791年)の銅像が立っています。目の前にはト音記号の花壇があります。
 
王宮庭園のモーツァルト像
リンク通り沿いにあるゲーテ像
リンク通り沿いにあるゲーテ像
← 王宮庭園のモーツァルト像
 
 王宮庭園を出てリンク通りに沿って少し歩くとゲーテ像があります。ゲーテ(1749〜1832年)はドイツを代表する文学者です。1763年にフランクフルトでヨーゼフ2世の戴冠式が開催されたとき、当時13歳だったゲーテも参加していました。
 
 ゲーテ像の向かい側には、シラー像が立っています。シラー(1759〜1805年)はゲーテの親友であり、ドイツを代表する文学者の1人です。
 
造形美術アカデミー絵画館
造形美術アカデミー絵画館
シラー像 →
シラー像
 
 シラー像の背後には造形美術アカデミー絵画館が建っています。1692年に開校した伝統ある美術学校で、クリムトやエゴン・シーレもこの学校で学びました。後に第二次世界大戦を引き起こすアドルフ・ヒトラーも若い頃は画家を志していて、この学校を2回受験しましたが、残念ががら不合格になりました。
 
 この 造形美術アカデミー絵画館 には、ヒエロニムス・ボッスやルーベンスの作品が展示されています。