オーストリア旅行記
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ベルヴェデーレ宮殿
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シェーンブルン宮殿からバスで15分程移動してベルヴェデーレ宮殿にやってきました。「ベルヴェデーレ」はイタリア語で「美しい眺め」という意味です。

ベルヴェデーレ宮殿へ
ベルヴェデーレ宮殿の門 →
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ベルヴェデーレ宮殿は、オイゲン公の夏の離宮です。オイゲン公はレオポルト1世、ヨーゼフ1世、カール6世の三代の皇帝に仕えトルコ戦争(1683〜1699年)やスペイン継承戦争(1701〜1714年)で活躍しました。
ベルヴェデーレ宮殿は上宮と下宮で構成されています。上宮は建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントによって1720〜1723年に建設されました。

ベルヴェデーレ宮殿(上宮)
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上宮と下宮の間には広大な庭園が広がっています。フランス人のドミニク・ジラールによって造られたバロック庭園です。庭園には彫像が並んでいて女性のスフィンクス像も設置されています。庭園の先には、上宮と向かい合う形で下宮があります。下宮は上宮より早く1714〜1716年に建設されました。下宮はオイゲン公の住居として利用され、上宮は迎賓館として利用されました。

スフィンクスと庭園
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現在、上宮はオーストリア・ギャラリーになっています。さっそく上宮に入ると豪華な玄関ホールがあります。ここは「サラ・テレーナ・サロン」と呼ばれています。現地ガイドさんの説明によると、この「サラ・テレーナ・サロン」やこの上にある「大理石の間」は撮影可能ですが、絵画や彫刻が展示されている部屋は撮影が禁止されているとのことです。

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クリムトの接吻の複製
← 玄関ホールの柱 |
オーストリア・ギャラリーには有名なクリムトの「接吻」が展示されています。写真を撮ることはできませんが、サラ・テレーナ・サロンに記念撮影用の複製画が置かれていました。多くの観光客が交代しながら記念撮影をしていました。
階段をのぼると「大理石の間(マルモア・サロン)」があります。天井にはイタリア出身の画家カルロ・カルローネによるオイゲン公を讃えるフレスコ画が描かれています。

階段をあがって2階へ
宮殿の天井 →
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1736年2月、皇帝カール6世の娘マリア・テレジアとフランツ・シュテファンが結婚します。その2ヶ月後の1736年4月、オイゲン公はウィーンで亡くなります。1752年、マリア・テレジア女帝がベルヴェデーレ宮殿を購入し、ハプスブルク家の手に渡ります。1770年4月には、フランスのルイ王太子(後の国王ルイ16世)に嫁ぐことになったマリア・テレジアの娘マリア・アントニア(フランス名マリー・アントワネット)の祝賀会がここで開催されました。
第二次世界大戦(1939〜1945年)の後、オーストリアはアメリカ、ソ連、イギリス、フランスの4ヶ国によって分割統治されます。1955年、4ヶ国とオーストリア政府はこの「大理石の間」で国際条約を締結します。これによってオーストリアは永世中立国として独立を回復しました。赤い大理石が敷かれた床には、記念碑が埋め込まれています。

大理石の間
国際条約調印の記念碑 → |
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「大理石の間」を見学した後は、同じ2階にある美術館を見学します。特に有名なコレクションは、グスタフ・クリムト(1862〜1918年)の「接吻」です。この作品については
2011年5月のオーストリア旅行記 で紹介しているので、興味のある方はお立ち寄りください。 |
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