オーストリア旅行記
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グリーヒェンバイスルでランチ
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石畳の通りを歩いてグリーヒェンバイスルにやってしました。このレストランは15世紀には創業していたという長い歴史を持っています。

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フリッターテンズッペ
← グリーヒェンバイスル |
席につくと、さっそくフリッターテンズッペと呼ばれるスープ運ばれてきました。フリッターテンと呼ばれるクレープ生地を細く切ったものが入っているコンソメスープです。ズッペはスープのことです。
その後はオーストリアの名物料理ウィンナー・シュニッツェルです。仔牛の肉を叩いて薄く延ばしてから、パン粉を付けて揚げたウィーン風のカツレツです。この料理はウィーン発祥ではなく、かつてオーストリア帝国が統治していたイタリア北部のミラノ風カツレツが伝わったものと言われています。

ウィンナーシュニッツェル
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アプフェルシュトゥルーデル |
デザートに運ばれてきたのは、アプフェルシュトゥルーデルです。薄く延ばしたパイ生地に包んで焼いたリンゴパイにシナモンと粉砂糖で味付けされています。
これでランチは終わりですが、いま私たちが食事した部屋はとても有名な部屋だそうです。天井や壁を見渡すと一面にサインが描かれています。この部屋はいつも予約が一杯だそうで、私たちが食事をしている間も観光客が入れ替わり壁一面のサインを見学しにやってきました。
私たちが食事をしている最中、レストランのスタッフが棒を持ってきて、いくつかのサインを紹介してくれました。

レストランの内部
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サインが描かれた壁
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まずは、モーツァルトのサインです。「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」と書かれています。モーツァルト(1756〜1791年)はザルツブルク出身の音楽家です。幼い頃から神童と言われ、先ほど見学したシェーンブルン宮殿の「鏡の間」で若干6歳のモーツァルトが御前演奏を行っています。25歳の時にウィーンに活動拠点を移しましたが、35歳の若さで亡くなりました。
次に紹介されたのがベートーヴェンのサインです。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827年)はドイツのボンで生まれました。ウィーンではハイドンに師事したり、モーツァルトとも交流があったと言われています。ベートーヴェンを経済的に支援したケルン選帝侯マクシミリアンはマリア・テレジア女帝の最後の子供(16番目)でマリー・アントワネットの弟にあたります。

モーツァルトのサイン |
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ベートーヴェンのサイン |
続いてはシューベルトのサインです。フランツ・シューベルト(1797〜1828年)はウィーン出身の音楽家で子供の頃は少年聖歌隊(ウィーン少年合唱団)に所属していました。彼はベートーヴェンをとても尊敬していましたが、生前に会うことはなく1827年のベートーヴェンの葬儀のときに初めて亡くなったベートーヴェンに対面しました。そして、翌1828年にシューベルトも31歳の若さで亡くなります。現在、シューベルトとベートーヴェンは中央墓地で並んで眠りについています。
ウィーンで活躍した音楽家たちは中央墓地に葬られています。2003年5月のオーストリア旅行記 でこの中央墓地について紹介していますので、興味のある方は立ち寄ってみてください。

シューベルトのサイン |
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エゴン・シーレのサイン |
音楽家の他に画家のサインもあります。エゴン・シーレ(1890〜1918年)は、1906年にウィーン美術アカデミーに入学して教育を受けましたが、クリムトに出会って分離派(ゼセッション)に属するようになりました。1918年の第49回ウィーン分離派展で高い評価を受けて今後の活躍が期待されましたが、その年の10月にスペイン風邪にかかって若干28歳で亡くなりました。 |
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