ハプスブルク王朝


ハプスブルク家の登場(〜1437)


 1918年11月11日、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝カール1世は、シェーンブルン宮殿の一室で国事への関与を放棄する文書に署名しました。
 
 この日をもって帝国は解体され、13世紀以来645年の歴史を誇るハプスブルク王朝は終わりを告げました。
 
シェーンブルン宮殿(オーストリア、ウィーン)
シェーンブルン宮殿
 
 ハプスブルク家は13世紀以降、オーストリアを中心としてヨーロッパ各地に領土を拡大しましたが、もともとはスイス北東部のアールガウ州に領土を持つ小さな貴族でした。彼らの祖先が1020年頃に築城したと伝えられるハプスブルク城は現存しています。
 
スイスに現存するハプスブルク城(スイス、アールガウ)
スイスに現存するハプスブルク城
ルドルフ1世(スイス、ハプスブルク城内の博物館)
ルドルフ1世
 
 ハプスブルク家が歴史の表舞台に登場する転機となったのは、1273年にルドルフ1世が神聖ローマ帝国の皇帝に即位したことです。962年に誕生した神聖ローマ帝国は、現在のドイツ、オーストリア、スイス、チェコ、イタリアなどを含む国家で、諸侯が選挙で皇帝を選んでいました。
 
 1250年以降、帝国には皇帝不在の「大空位時代」が訪れていました。日本の戦国時代のように帝国内で300近い諸侯が乱立し、ボヘミア王オタカル2世が台頭します。ボヘミア(チェコ)を中心にオーストリアやスロベニアへ領土を拡大したプシェミスル家のオタカル2世は皇帝への野心を持っていましたが、諸侯は強大な皇帝の登場を警戒しました。彼らは、力を持たない貴族をお飾りの皇帝に祭り上げてオタカル2世に対抗させようと考えます。こうして1273年にハプスブルク家のルドルフ1世が皇帝に選出されました。
 
 このルドルフ1世は、諸侯の思惑に反して、したたかな人物でした。1278年に「マルヒフェルトの戦い」でオタカル2世の軍勢を破り、オーストリアを自らの所領とします。1282年、ルドルフ1世は拠点をスイスからウィーンへ移し、1918年まで続くオーストリア統治が始まります。
 
ルドルフ4世(オーストリア、ウィーンのドーム博物館)
ルドルフ4世
 滑り出しは順調でしたが、諸侯の思惑に反して力を持ち始めたハプスブルク家は警戒されてしまい、ルドルフ1世の孫たちの世代になると、皇帝の地位やスイスの領土を失ってしまいます。
 
 以後、130年に渡ってハプスブルク家の人々は、捲土重来を期してオーストリアの発展に取り組みます。
 
 特に、1358年に家督を相続したルドルフ4世は、1359年にシュテファン大聖堂の建設に取り掛かり、1365年にはウィーン大学を創設して多くの人々をウィーンに誘致します。また、聖職者や貴族の特権を廃止したり、消費税を導入するなど近代的な改革にも取り組みました。
 
BC1000

BC500年
オーストリアのデュルンシュタインに建つリチャード1世が幽閉されたクーエリンガー城の跡ハルシュタット文明
(写真は岩塩の採掘で繁栄したオーストリアのハルシュタット
962年 オーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ帝国の冠ザクセン家のオットー1世がローマ教皇から帝冠を授かり、神聖ローマ帝国誕生
(写真はオーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されている神聖ローマ帝国の冠)
976年 オットー2世、神聖ローマ帝国のオスト・マルク(東方辺境伯領)にバーベンベルク家を封じる
1155年 バーベンベルク家のハインリヒ・ヤソミルゴットがウィーンをオスト・マルクの首都に定める
1156年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がオスト・マルクをオーストリア公爵領に昇格させる。ハインリヒ・ヤソミルゴットは辺境伯からオーストリア公爵に昇格
1246年 バーベンベルク家が断絶
1250年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が死去。皇帝不在の大空位時代が始まる
1251年 オタカル2世の本拠地プラハの町並みボヘミア王オタカル2世がウィーンを占拠
(写真はオタカル2世の本拠地ボヘミア王国(現在のチェコ)の首都プラハの町並み)
1273年 ハプスブルク家のルドルフ1世がドイツ王(神聖ローマ皇帝)に即位
1278年 ルドルフ1世が「マルヒフェルトの戦い」でオタカル2世に勝利
1282年 ルドルフ1世がウィーンに拠点を移し、ハプスブルク家のオーストリア統治が始まる
1291年 ルドルフ1世が死去。ナッサウ家のアドルフがドイツ王に即位
1298年 アドルフが廃位され、ルドルフ1世の子アルプレヒト1世がドイツ王に即位
1308年 アルプレヒト1世が暗殺され、ルクセンブルク家のハインリッヒ7世がドイツ王に即位
1315年 「モルガルテンの戦い」でハプスブルク家の軍勢がスイス軍に敗北
1355年 ウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像ルクセンブルク家のカール4世(ボヘミア王カレル1世)が神聖ローマ皇帝に即位
(写真はウィーンの歴史博物館にあるカール4世の像)
1356年 カール4世が「金印勅書」を発布
1359年 ウィーンのシンボル・シュテファン寺院ハプスブルク家の建設公ルドルフ4世、シュテファン寺院の再建を開始
(写真はウィーンのシンボル・シュテファン寺院
1363年 ルドルフ4世、チロルを獲得
1365年 ウィーンのリンク通り沿いに建つウィーン大学ルドルフ4世、ウィーン大学の建設を開始
(写真はウィーンのリンク通り沿いに建つウィーン大学
1386年 「ゼンパハの戦い」でハプスブルク家の軍勢がスイス軍に敗北
1388年 「ネーフェルスの戦い」でハプスブルク家の軍勢がスイス軍に敗北
1437年 ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝ジギスムントが死去。ハプスブルク家のアルブレヒト2世がドイツ王に即位