ハンガリーの歴史


ハンガリー王国の繁栄(1302〜1490)


 1302年にアールパード朝によるハンガリー支配が終わると、ナポリのアンジュー家から招かれたカーロイ・ロベルトがハンガリー王に即位します。彼はあまり戦争を起こさず国内の整備に力を入れたので、ハンガリーは経済的に大きく発展しました。
 
カーロイ・ロベルト(英雄広場)
カーロイ・ロベルト
ラヨシュ1世(英雄広場)
ラヨシュ1世
 
 
 カーロイ・ロベルトの息子ラヨシュ1世は、父王とは違い領土拡大に意欲的でした。1347年にイタリアに遠征してナポリを征服、1347年にはクロアチアを征服します。1370年にはポーランド王に即位して一代限りですがハンガリーとポーランドは1人の国王を戴く同君連合国家となりました。また、ラヨシュ1世の時代にブダがハンガリー王国の首都に定められました。
 
 ラヨシュ1世の死後、ルクセンブルク家のジグモントが王位を継承します。彼は1410年に神聖ローマ帝国(ドイツ)の皇帝に即位し、1419年にはボヘミア王に即位します。
 
 この時代になると、オスマン・トルコ帝国がハンガリーを脅かすようになってきます。1299年に建国されたオスマン・トルコは急速に勢力を拡大し、1453年にコンスタンティノープル(現在のトルコ領イスタンブール)を占領してビザンティン帝国(東ローマ帝国)を滅亡させます。間もなくトルコ軍はバルカン半島を占領し、ハンガリーと領土を接するようになりました。
 
 1456年、10万のトルコ軍が当時ハンガリー領だったベオグラードを包囲します。このトルコ軍をトランシルヴァニア出身の貴族フニャディ・ヤーノシュが迎え撃ち、大勝利をおさめます。その後、70年間に渡って、ハンガリーはトルコの脅威からヨーロッパを防衛する役割を担いました。
 
フニャディ・ヤーノシュ(英雄広場)
フニャディ・ヤーノシュ
マーシャーシュ1世(英雄広場)
マーチャーシュ1世
 
 
 1458年、フニャディ・ヤーノシュの息子マーチャーシュ1世がハンガリー王に即位します。父親の活躍によってトルコの脅威から解放されたため、マーチャーシュ1世はボヘミアやオーストリアに領土を拡大することに成功しました。マーチャーシュ1世は文化への造詣も深く、ブダの王宮をルネサンス様式で大改築しました。王宮には2千冊の蔵書を誇るコルヴィナ文庫も造られました。王宮の近くに建つ聖母マリア教会も大改築され、マーチャーシュ教会と呼ばれるようになりました。
 
1308年 ハンガリーのブダペスト歴史博物館に展示されているアンジュー家のタペストリーアンジュー家のカーロイ・ロベルトがハンガリー王に即位(〜1342年)
(写真はハンガリーのブダペスト歴史博物館に展示されているアンジュー家のタペストリー
1342年 カーロイ・ロベルトが死去、ラヨシュ1世がハンガリー王に即位(〜1382年)
1370年 ラヨシュ1世がポーランド王に即位
1387年 オーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されているジグモンドの肖像画ルクセンブルク家のジグモンドがハンガリー王に即位(〜1437年)
(写真はオーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されているジグモンドの肖像画
1453年 トルコのイスタンブールに建つブルー・モスクオスマン・トルコ帝国がコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を攻略してビザンティン帝国(東ローマ帝国)が滅亡
(写真はトルコのイスタンブールに建つブルー・モスク
1456年 7月、ベオグラード防衛戦でフニャディ・ヤーノシュ率いるハンガリー軍がトルコ軍を撃退
1458年 マーチャーシュ1世がハンガリー王に即位(〜1490年)
1465年 大学があるハンガリー、ブラチスラバのヴェントゥールスカ通りマーチャーシュ1世がポジョニ(ブラチスラバ)に大学を建設
(写真は大学があるスロバキア、ブラチスラバのヴェントゥールスカ通り
1469年 マーチャーシュ1世がボヘミア王に即位(〜1490年)
1485年 マーチャーシュ1世がウィーンを攻略
1490年 マーチャーシュ1世が死去。ハプスブルク家がウィーンを奪回