ハンガリーの歴史


ハプスブルク帝国(1683〜1866)


 ブダペストの町を見下ろす丘に建つ王宮の前に一体の騎馬像があります。この騎馬像は対トルコ戦争の英雄、プリンツ・オイゲン(1663〜1736年)です。
 
プリンツ・オイゲン(ハンガリー、ブダペストの王宮前)
プリンツ・オイゲン
 プリンツ・オイゲン(オイゲン公)は、サヴォイ家の血を引くフランス人ですが、フランスで重く用いられなかったためにオーストリアに仕えた軍人です。
 
 1683年のトルコ軍によるウィーン包囲戦では一軍を率いてウィーンの防衛に力を尽くします。トルコ軍の退却後、皇帝レオポルト1世はオイゲン公に軍勢を与えてハンガリーに派遣します。
 
 オイゲン公は、これまで負け知らずだったトルコ軍を次々と撃破します。特に1697年9月に両軍が激突した「ゼンタの戦い」では10万を超えるトルコ軍に対して数万の兵で歴史に残る大勝利をおさめました。ハプスブルク家は、1699年に締結された「カルロヴィッツ条約」でハンガリー全土を獲得しました。
 
 オイゲン公はレオポルト1世、ヨーゼフ1世、カール6世の三代の皇帝に仕えて、1736年に亡くなりました。
 
マリア・テレジア(ハンガリー、ブダペストの英雄広場)
マリア・テレジア
 その4年後に皇帝カール6世も亡くなりますが、彼は男子の後継者に恵まれませんでした。そのため、長女のマリア・テレジアが若干23歳でハプスブルク家の家督を相続しますが、周辺の列強は一斉にハプスブルク家の領土に攻め込んできます。オーストリア継承戦争の始まりです。
 
 開戦当初、オーストリアの旗色は悪く、神聖ローマ帝国の皇帝の地位はバイエルンのカール7世に奪われ、シュレージエン地方は新興国のプロイセンに奪われてしまいます。
 
 この四面楚歌に陥っていたマリア・テレジアを救ったのがハンガリーでした。1740年にブラチスラバでハンガリー女王に戴冠されたマリア・テレジアは、幼い王子を抱いてハンガリー議会に乗り込み決起を促します。勇猛なハンガリー軍の忠誠を勝ち取ったマリア・テレジアは反撃に出て敵国に奪われた領土を奪回し、夫のフランツ・シュテファンを皇帝に即位させることに成功しました。
 
コシュート・ラヨシュ(英雄広場)
コシュート・ラヨシュ
ハンガリー革命の記念像(ブダペスト)
ハンガリー革命の記念像
 
 
 19世紀になると、ヨーロッパ各地で諸民族がナショナリズムに目覚め、ハンガリーでも独立の気運が高まってきます。1848年2月にウィーンで暴動が起こると、翌3月にハンガリーでコシュート・ラヨシュによる革命が勃発します。
 
 同年12月に皇帝に即位したフランツ・ヨーゼフは、20万のロシア軍の支援を得て革命を鎮圧し、コシュートは国外へと亡命しました。
 
1683年 ヴァチカン博物館に展示されているソビエスキ王によるウィーン解放を描いた絵画オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲
(写真はヴァチカン博物館のソビエスキの間に展示されているポーランド王ヤン・ソビエスキによるウィーン解放を描いた絵画
1686年 ハンガリーのブダペストに建つ王宮ハプスブルク家の軍隊がブダを攻略
(写真はハンガリーのブダペストに建つ王宮
1699年 1月、ハプスブルク家とオスマン・トルコの間で「カルロヴィッツ条約」が締結されて、ハプスブルク家がハンガリー全土を獲得
1701年 スペイン系ハプスブルク家が断絶してスペイン継承戦争が始まる(〜1714年)
1703年 英雄広場に立つラコツィ・フェレンツ2世像ラコツィ・フェレンツ2世によるハンガリー解放戦争(〜1710年)
(写真はハンガリー、ブダペストの英雄広場に立つラコツィ・フェレンツ2世像
1740年 歴代ハンガリー王の戴冠式が挙行されたスロバキア、ブラチスラバの聖マルティン教会ハプスブルク家のマリア・テレジアがハンガリーとボヘミアの女王に即位(〜1780年)
(写真は歴代ハンガリー王の戴冠式が挙行されたスロバキア、ブラチスラバにある聖マルティン教会
オーストリア継承戦争(〜1748年)
1756年 七年戦争(〜1763年)
1803年 ナポレオン戦争(〜1815年)
1804年 オーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されているフランツ1世の肖像画ハプスブルク家のフランツ1世がオーストリア皇帝に即位
(写真はオーストリア、ウィーンの王宮宝物館に展示されているオーストリア皇帝フランツ1世の肖像画)
1806年 ドイツ諸侯がフランスとライン同盟を結成し、神聖ローマ帝国終焉
1814年 ウィーン会議の舞台になったオーストリア、ウィーンのシェーンブルン宮殿にある大ギャラリーウィーン会議(〜1815年)
(写真はウィーン会議の舞台になったオーストリア、ウィーンのシェーンブルン宮殿にある大ギャラリー
1848年 3月15日、ペストでコシュート・ラヨシュによる革命が勃発(〜1849年)
オーストリア、ウィーンの歴史博物館に展示されているフランツ・ヨーゼフの肖像画12月、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフがオーストリア帝国の皇帝に即位
(写真はオーストリア、ウィーンの歴史博物館に展示されているフランツ・ヨーゼフの肖像画)
1849年 8月、フランツ・ヨーゼフがロシア軍の支援を得てハンガリーの革命を鎮圧。コシュートは国外へ亡命
ブダ地区とペスト地区を繋ぐくさり橋11月、ドナウ川に架かるくさり橋が完成
(写真はブダ地区とペスト地区を繋ぐくさり橋
1859年 6月、「ソルフェリーノの戦い」でオーストリア軍がサルディーニャとフランスの連合軍に敗北
1861年 2月、イタリア王国が成立
1866年 7月、ケーニヒグレーツでオーストリア軍がプロイセン軍に敗北