ポーランド旅行記


シフィドニツァの平和教会


 今朝は8時にヴロツワフのホテルを出発します。まずは、ヴロツワフの南西50キロ程に位置するシフィドニツァという町に向かいます。
 
 バスはホテルを出発してから約1時間で到着です。バスをおりて徒歩で向かったのは、世界遺産に登録されている「平和教会」と呼ばれている教会です。
 
平和教会への入口
平和教会への入口
平和教会
平和教会
 
 素朴な外観の平和教会が世界遺産に登録されている理由は、その歴史にあります。
 
 昨日観光したヴロツワフを含め、シフィドニツァがあるシロンスク地方は中世の頃からボヘミア王国(チェコ)の統治下にありました。1526年、ハプスブルク家のフェルディナント1世がボヘミア王に即位して、ボヘミア王国はハプスブルク家の統治下に入ります。ハプスブルク家はカトリックを信仰していましたが、ボヘミアではプロテスタントを信仰する人々が多くいました。
 
鐘楼
鐘楼
 1618年にボヘミア王国の首都プラハでプロテスタントを信仰する人々が蜂起し、ハプスブルク家は鎮圧のために軍隊を派遣します。
 
 カトリック派とプロテスタント派の衝突で始まったこの宗教戦争は、ヨーロッパ各国を巻き込んで1648年まで続いたことから「三十年戦争」と呼ばれました(「三十年戦争」については2015年の中欧旅行記で紹介しているので興味のある方はお立ち寄りください)。
 
 三十年戦争は、1648年にウェストファリア条約が締結されて終結します。この条約の中で、プロテスタント派のスウェーデンがハプスブルク家に対してシロンスク地方に3つのプロテスタント教会を建てることを要求します。ハプスブルク家は、やむを得ず建設を許可しましたが、教会が敵対勢力の拠点として利用されることを警戒して、「町を囲む城壁の外に建てること」「石やレンガを使わず耐久性のない木造とすること」等の条件を提示しました。
 
平和教会
 
平和教会 ↑→
鐘楼
 
 こうした経緯を経て、シフィドニツァの平和教会は1655年に建設されました。
 
 シロンスク地方の3つの教会は、シフィドニツァ以外にヤヴォルとグウォグフという町にも建てられましたが、グウォグフの教会は1758年に焼失してしまったそうです。現存している2つの教会は、カトリック派とプロテスタント派の融和の象徴として2001年に世界遺産に登録されました。95パーセントが建設当時のオリジナルのままとのことです。
 
平和教会の洗礼の間
洗礼の間
釣鐘 →
平和教会の釣鐘
 
 教会の中に入ると、まず洗礼の間があります。洗礼盤を始め、釣鐘や彫像が展示されていたり、宗教画が飾られています。ショップもあって絵ハガキなどを買うことができます。
 
 
 教会の中は、豪華な空間が広がっていて7500人を収容できるそうです。
 
平和教会の内部
平和教会の内部
説教壇 →
平和教会の説教壇
 
 豪華な説教壇は、18世紀に設置されました。説教壇を飾っている聖母子や天使の彫像はすべて木像で、白色や金色で着色されています。
 
 主祭壇も同様に18世紀に設置されました。祭壇を飾っている彫像も木像です。ヨルダン川でイエスに洗礼を施すヨハネを始め、聖ペテロ、聖パウロ、モーセなどの聖書の人物が並んでいます。
 
平和教会の主祭壇
平和教会の主祭壇の彫刻
主祭壇の彫刻
← 主祭壇
 
 教会の後ろには巨大なパイプオルガンが設置されています。パイプの数は3900本程あるそうです。パイプオルガンの下には清書を持ったマルティン・ルターの肖像画が飾られています。
 
 ドイツの修道士だったルター(1483〜1546年)は、ローマ教会が資金集めのために始めた贖宥状(免罪符)の販売に疑問を持ち、「95ヶ条の論題」を公表しました。お金を払って贖宥状を購入することで罪が許されるというローマ教会の考え方に対して、ルターの「信仰(聖書)によってのみ人々は救われる」という考え方は、多くの人々の共感を得て宗教改革を引き起こし、旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)に分裂しました。
 
平和教会のオルガン
オルガン
平和教会の天井画
天井画
 
 内部を一通り、見学した後はパイプオルガンの演奏を聴かせていただきました。