ロシア旅行記(モスクワ)


赤の広場


 今日は1日モスクワ市内を観光します。まずは、バスに乗ってモスクワの中心クレムリンに向かいます。
 
 モスクワのクレムリンは、1156年にユーリー・ドルゴルーキーがボロヴィツキーの丘に木造の砦を建設したのが起源と言われています。1945年に第二次世界大戦が終戦したときは、ここでナチス・ドイツに勝利したことを記念してソ連軍によるパレードが行われました。
 
 クレムリンの北東に位置する赤の広場でバスを降ります。
 
モスクワの赤の広場
赤の広場
 15世紀末、モスクワからモンゴル軍を追い払ったモスクワ大公イワン3世(大帝)が、ここに交易のための広場をつくりました。
 
 多くの商人が露店を並べたこの広場は、17世紀頃から「赤の広場(本来は美しい広場という意味)」と呼ばれるようになりました
 
 広場の一角には、聖ワシリー聖堂が建っています。
 
モスクワの赤の広場に建つ聖ワシーリー聖堂
聖ワシリー聖堂
 1552年10月、イワン3世の孫イワン4世(雷帝)がモンゴルのカザン・ハン国の首都カザンを陥落させます。
 
 イワン4世はカザン攻略を記念して聖堂を建立します。1560年に完成したこの聖堂はカザンを攻略した日が生神女(聖母マリア)の庇護祭にあたったことから「ポクロフスキー聖堂(聖母マリアの聖堂)」と呼ばれました。
 
 後にイワン4世が崇拝していた聖人ワシリーの祭室がつくられると、この聖堂は、聖ワシリー聖堂と呼ばれるようになりました。
 
 聖ワシリー聖堂の前にはミーニンとパジャルスキーの像があります。
 
聖ワシリー寺院の前に立つミーニンとパジャルスキーの像
ミーニンとパジャルスキーの像
 イワン4世が亡くなると、モスクワでは貴族たちの権力争いや農民一揆など政情不安の状態が続き、1610年にはモスクワがポーランド軍に占拠されてしまいます。
 
 1612年、ノブゴロドで暮らしていた商人ミーニンとパジャルスキーを指導者とする義勇軍が組織され、モスクワを奪還します。翌1613年、義勇軍はミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフを皇帝に選出し、以後1917年まで続くロマノフ王朝がはじまります。
 
 赤の広場の周辺には、聖ワシリー聖堂の他にもいろいろな建物が並んでいます。
 
モスクワの赤の広場に建つ国立歴史博物館
国立歴史博物館
 右の写真の建物は国立歴史博物館です。
 
 19世紀に建てられた赤いレンガが特徴的な建物で、内部には古代の装飾品やコインをはじめとして30万点を超えるコレクションが展示されているそうです。残念ながら、今回のツアーでは入場できませんでした。
 
モスクワのクレムリンに建つスパスカヤ塔
スパスカヤ塔
 続いての写真はスパスカヤ塔です。
 
 塔の高さは67メートルあり、1491年に建設されました。当初は、フロロフスカヤ塔と呼ばれていましたが、1658年以降は「救世主=スパス」に因んでスパスカヤ塔と呼ばれるようになりました。
 
 現在、この塔は政府の要人や外国の賓客が通る門として利用されています。