ロシア旅行記(モスクワ)


モスクワのクレムリン


クレムリンの「イワン大帝(イワン3世)の鐘楼」
イワン大帝の鐘楼
 右の写真はクレムリンでもっとも高い建物「イワン大帝(イワン3世)の鐘楼」です。
 
 1505〜1508年、イワン3世の息子ワシーリー3世(1497〜1533年)の時代に建設されました。建設を担当したのはイタリアから招かれたボン・フリャジンという建築家です。
 
 1600年、当時の皇帝ボリス・ゴドゥノフ(1552頃〜1605年)によって増築され、鐘楼の高さは81メートルになりました。
 
 イワン大帝の鐘楼の前にはアルハンゲルスキー聖堂があります。イワン大帝の鐘楼と同じ1505〜1508年にかけてイタリアの建築家アレヴィズによって建設されました。
 
クレムリンの「アルハンゲルスキー聖堂」
アルハンゲルスキー聖堂
 この聖堂はロシア軍の守護天使の大天使ミハエルに捧げられています。
 
 ここには、サンクト・ペテルブルグに首都を移したピョートル1世より前の歴代皇帝の遺体が安置されています。
 
 アルハンゲルスキー聖堂の隣にはブラゴヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知の聖堂)があります。
 
 1484〜1489年、イワン大帝の時代にモスクワの建築家プスコーフたちによって建設されました。この聖堂は1547年の火災で損害を受けましたが、1660〜1670年にかけて再建されました。
 
クレムリンの「ブラゴヴェッシェンスキー聖堂」
ブラゴヴェッシェンスキー聖堂
 
ブラゴヴェッシェンスキー聖堂の内部 →
ブラドヴェッシェンスキー聖堂の内部
  
 
 続いては、大クレムリン宮殿です。
 1812年9月にナポレオン軍がクレムリンに入城しますが、その夜、モスクワは炎上します。この時、皇帝の宮殿も消失してしまいます。
 
クレムリンの「大クレムリン宮殿」
大クレムリン宮殿
 1838〜1849年にかけて、皇帝ニコライ1世(1796〜1855)によってようやく宮殿が再建されます。
 
 1932〜1934年にかけては、3000人を収容できる会議場がつくられました。ここではかつて、共産党中央大会やソ連邦最高会議が開催され、現在でも重要な会議の開催場所になっているそうです。
 
クレムリンのボロヴィツカヤ塔と武器庫
ボロヴィツカヤ塔と武器庫
 大クレムリン宮殿の先にはボロヴィツカヤ塔があります。塔が建設された頃、この辺りが「松の木(ボル)」で覆われていたことが名前の由来です。
 
 ボロヴィツカヤ塔の手前にある建物は武器庫です。ここには、ロシア帝国に伝わる数々の宝物が収められています。
 
 それでは、武器庫に入場します。