ロマノフ王朝


ピョートル1世(1672〜1725)


 1584年、ロシアで初めて皇帝(ツァーリ)を名乗ったイワン4世(雷帝)が亡くなると、ロシアでは貴族たちの権力争いや農民一揆がおこり、政情不安の状態が続きます。そして、ついには首都モスクワが隣国ポーランドに占拠されてしまいます。
 

ピョートル1世(大帝)
ピョートル1世(大帝)
 1613年、ロシア諸侯は力をあわせてモスクワからポーランド軍を追い払い、ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフを皇帝に選出します。
 
 ミハイルの孫ピョートル1世は、積極的にヨーロッパの文化や技術を導入してロシアの近代化につとめました。
 
 また、スウェーデンとバルト海の覇権を巡って北方戦争(1700〜1721年)を繰り広げ、バルト海沿岸を獲得します。
 
 彼がフィンランド湾に注ぐネヴァ川(泥の川)の河口に建設したサンクト・ペテルブルグは、1712年以降、200年にわたってロマノフ王朝の帝都になりました。
 
1237年 モンゴル軍の来襲により、「タタールのくびき」がはじまる
1462年 イワン3世(大帝)がモスクワ大公に即位
1453年 イスタンブールに建つビザンティン帝国の象徴アヤ・ソフィアオスマン・トルコ帝国がコンスタンティノープルを攻略し、ビザンティン帝国滅亡。イワン3世はビザンティン帝国最後の皇帝の姪と結婚し、「双頭の鷲」の紋章とギリシャ正教を引き継ぐ。
(写真はイスタンブールに建つビザンティン帝国の象徴アヤ・ソフィア
1480年 イワン3世がロシアからモンゴル軍を駆逐し、「タタールのくびき」が終わる
1533年 イワン4世(雷帝)がモスクワ大公に即位
1547年 イワン4世が皇帝(ツァーリ)を名乗る
1610年 ポーランド軍がモスクワを占拠
1612年 モスクワの赤の広場にあるミーニンとパジャルスキーの像ミーニンとパジャルスキーの組織する義勇軍がモスクワからポーランド軍を駆逐する
(写真はモスクワの赤の広場にあるミーニン像とパジャルスキー像)
1613年 ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが皇帝に即位(ロマノフ王朝はじまる)
1645年 アレクセイ・ミハイロヴィチ・ロマノフの肖像画ミハイルの子アレクセイが皇帝に即位
(写真はアレクセイ・ミハイロヴィチ・ロマノフの肖像画)
1672年 ピョートル1世、誕生
1682年 ピョートル1世、異母兄イワン5世とともに皇帝に即位
1694年 ピョートル1世の親政はじまる
1697年 ピョートル1世、偽名を使ってヨーロッパを視察
1700年 ロシア、ポーランド、デンマークが同盟し、スウェーデンとの戦いがはじまる(北方戦争)
1703年 ピョートル1世、ネヴァ川の河口にサンクト・ペテルブルグの建設を開始
1709年 ポルタヴァの戦いでロシア軍がスウェーデン軍を破る
1712年 ピョートル1世、モスクワからサンクト・ペテルブルグへ遷都
1714年 ペトロドヴァレェツのピョートル大帝の夏の離宮ピョートル1世、ペトロドヴァレェツに宮殿の建設を開始
(写真はペトロドヴァレェツのピョートル大帝の夏の離宮
1721年 サンクト・ペテルブルグに立つピョートル1世の騎馬像ピョートル1世、全ロシアの皇帝(インペラトール)を称する
(写真はサンクト・ペテルブルグのデカブリスト広場(元老院広場)に立つピョートル1世の騎馬像
1725年 ピョートル1世、死去