クロアチア旅行記(スプリット)


鐘楼に登る


 宮殿の中庭に戻ってきたところで、約1時間のフリータイムです。まずは、スプリットのシンボルになっている鐘楼に登って町並みを眺めたいと思います。鐘楼は有料なので入口の脇にいる係員にお金を払ってチケットを買います。
 
大聖堂の鐘楼
大聖堂の鐘楼
鐘楼の入口
鐘楼の入口
 
 
 鐘楼は13〜16世紀にかけて建設され、高さは58メートルあります。頂上まで続く階段は173段あります。鐘楼の建設に使用された石は、昨日観光したシベニクの聖ヤコブ大聖堂でも使用されていたブラチュ島の大理石です。
 
鐘楼を登る途中の景色
鐘楼を登る途中の景色
 
鐘楼の鐘 →
鐘楼の鐘
 
 13世紀に建設が始まった当初はロマネスク様式で造られましたが、長い年月を要した間に徐々に様式が変化していきました。15世紀に建設が始まった八角形の最上階はゴシック様式になっています。
 
 
 1470年頃には、昨日観光したシベニクの聖ヤコブ大聖堂やトロギールの聖ロヴロ大聖堂の建設にも関わったニコラ・フィレンチナッツが鐘楼の建設に参加したそうです。19世紀にはウィーンから派遣された建築家の指揮のもとで大規模な改築工事が行われました。
 
鐘楼を登る途中の景色
鐘楼を登る途中の景色
鐘楼の階段
鐘楼の階段
 
 173段の階段を登りきった鐘楼の最上階からは、スプリットの町並みを見渡すことができます。北側に目を向けると、スプリットの町並みの向こうにディナル・アルプスが見えます。
 
鐘楼からの眺め(北側)
鐘楼からの眺め(北側)
 
 スプリットの西側に目を向けると、オレンジ色の屋根が並ぶ町並みとアドリア海を見渡すことができます。
 
鐘楼からの眺め(西側)
鐘楼からの眺め(西側)
 
 1797年にヴェネチア共和国の支配を脱した後のスプリットは、他のアドリア海沿岸の都市と同じくナポレオン支配を経て1813年からハプスブルク家のオーストリア帝国の支配下に入りました。
 
 1918年にオーストリアが第一次世界大戦後に敗北するとユーゴスラビアの支配下に入り、第二次世界大戦(1939〜1945年)で一時的にイタリアやナチス・ドイツに占領されますが、1944年10月に解放されます。そして、1991〜1995年のクロアチア内戦を経て現在に至っています。