クロアチア旅行記(スプリット)
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大聖堂
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鐘楼からの眺めを楽しんだ後は大聖堂を見学します。大聖堂は、かつてはディオクレティアヌス帝の霊廟でした。7世紀にキリスト教徒によって大聖堂に改築されました。
![大聖堂](jpg/20140523/20140523-51.jpg)
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![大聖堂の扉](jpg/20140523/20140523-52.jpg)
大聖堂の扉
← 大聖堂
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1214年に制作されたという大聖堂の扉は、スプリット出身の芸術家アンドリア・ブヴィナがクルミの木から制作したもので、キリストの生涯が彫られています。
![大聖堂の内部](jpg/20140523/20140523-53.jpg)
大聖堂の内部
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ディオクレティアヌス帝の時代のローマ帝国は多神教の時代で、一神教を信仰するキリスト教徒は危険視されていました。
303年、ディオクレティアヌス帝は勅令を発してキリスト教徒の大迫害を行いました。
305年にこの宮殿で隠居生活を始めたディオクレティアヌス帝は311年に亡くなり、この霊廟に葬られました。それからわずか2年後の313年にコンスタンティヌス帝のミラノ勅令によってキリスト教が公認されます。そして、392年にはテオドシウス帝によってローマ帝国の国教になりました。
7世紀になるとディオクレティアヌス帝の霊廟はキリスト教徒によって大聖堂に改築されます。キリスト教徒を迫害したディオクレティアヌス帝はキリスト教徒に憎まれていたため、霊廟の中央に安置されていた遺体はどこかへ持ち去られて行方不明となりました。
![大聖堂の天井](jpg/20140523/20140523-54.jpg)
大聖堂の天井
大聖堂の主祭壇 →
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![大聖堂の主祭壇](jpg/20140523/20140523-55.jpg)
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大聖堂の天井は、かつてモザイクで装飾されていたそうです。中央にある主祭壇は、1685〜1689年にかけてスプリットの大司教スティエパン・コスミの時代に制作されたものです。
13世紀に制作されたロマネスク様式の説教壇は、スプリットのイヴァン・フランコパン公爵の寡婦だったコラフィスが寄贈したものと言われています。
大聖堂の北東方向には聖スタシウスの祭壇があります。シベニクの聖ヤコブ大聖堂を手がけたユライ・ダルマティナッツが1448年に制作しました。聖スタシウスはイタリアのアクイレイアという町の染色職人でした。しかし、キリスト教徒だったスタシウスは、ディオクレティアヌス帝の時代にサロナで首に挽き臼をくくりつけられてヤドロ川に投げ込まれて殉教しました。
![大聖堂の説教壇](jpg/20140523/20140523-56.jpg)
大聖堂の説教壇
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![聖スタシウスの祭壇](jpg/20140523/20140523-57.jpg)
聖スタシウスの祭壇
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大聖堂の南東方向にはゴシック様式の聖ドムニウス祭壇があります。1427年にミラノのボニノという彫刻家によって制作されました。祭壇の下にある色あせた石棺は、初期キリスト教徒のものでロマネスク様式で作られています。
聖ドムニウスも聖スタシウスと同様に、ディオクレティアヌス帝の迫害によって殉教しました。聖ドムニウスはスプリットの守護聖人になっています。この大聖堂の正式名称も聖ドムニウス大聖堂と言います。
![聖ドムニウスのゴシック式祭壇](jpg/20140523/20140523-58.jpg)
聖ドムニウスのゴシック式祭壇
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![聖ドムニウスのバロック式祭壇](jpg/20140523/20140523-59.jpg)
聖ドムニウスのバロック式祭壇
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大聖堂の北方向にも聖ドムニウスの祭壇があります。こちらはバロック様式で、1766〜1767年にヴェネチアの彫刻家モルライテルによって作られました。
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