クロアチア旅行記(ドゥブロヴニク)


城壁巡り


 今日はドゥブロヴニク旧市街の観光です。少し早目の6時30分にホテルを出発します。ホテルがあるバビンクック地区から旧市街まではバスで15分程です。駐車場でバスをおりると現地ガイドさんが待っていました。ガイドさんについて旧市街の入口になっているピレ門に向かいます。
 
 堅固な城壁で守られているドゥブロヴニクへの入口は4ヶ所あります。私たちがいま向かっているのが西に位置するピレ門で、その他に北のブジャ門、北東のプロチェ門、港に面したポンテ門があります。
 
旧市街への入口、ピレ門
旧市街への入口、ピレ門
町の守護聖人、聖ヴラホ →
町の守護聖人、聖ヴラホ
 
 ピレ門の上にはドゥブロヴニクの守護聖人になっている聖ヴラホ像が立っています。英語では聖ブレーズと呼ばれ、シヴァス(トルコ領)という町の司教を務めていましたが、316年に殉教しました。魚の骨を喉に詰まらせて窒息しそうになった子供を救ったという言い伝えがあり、喉の病気を癒す聖人とされています。
 
 聖ヴラホは、ヴェネチア共和国が町の襲撃を企てた際に司祭の夢枕に立って危険を知らせたと言われていて、972年にドゥブロヴニクの守護聖人になりました。
 
内戦の被害を示した地図
内戦の被害を示した地図
 ピレ門をくぐってすぐの壁には、ドゥブロヴニク旧市街の地図と、1991年の内戦によって損害を受けた箇所を示す地図が掛けられています。
 
 オレンジ色や黒色でマークがついている箇所は全て損害を受けた箇所です。砲弾が直撃した所、屋根が破壊された所、建物が倒壊したところ、などが細かく示されています。
 
 ピレ門を抜けると、旧市街のメインストリートのプラツァ通りが続いています。
 
旧市街のメインストリート、プラツァ通り
旧市街のメインストリート、プラツァ通り
 
 元々、ドゥブロブニクはラグーサと呼ばれる小島でした。7世紀頃、ローマ人が暮らしていたエプダウロス(現在のツァブタット)という町がにスラブ民族に襲われます。サロナの住民がスプリットに避難したように、エプダウロスで暮らしていたローマ人はこのラグーサに逃れました。一方で、この辺りに進出してきたスラブ人は対岸のスルジ山に定住しました。当初、ラグーサで暮らすローマ人は食料の確保に苦しみ、スラブ人にお金を払って対岸に耕作地を分けてもらって生計を立てました。
 
 その後、長い年月を経てスラブ人とローマ人の関係は良好になり、12世紀にスルジ山とラグーサを隔てる海峡が埋め立てられて1つの町になります。この埋め立てられた部分が現在のプラツァ通りです。
 
 この合併した町は、かつてスルジ山にオークの樹などが生い茂っていたことに因んで、スラブ語で「森」を意味するドゥブロヴニクと呼ばれました。クロアチアの南端に位置するドゥブロヴニクは、クロアチアに含まれない独立国として発展していきました。
 
 
 プラツァ通りの右手にはオノフリオの噴水があります。ドゥブロブニクには川がないので、かつては雨水を溜めたり海水をろ過していました。
 
 共和国政府は水を安定供給するためにナポリの建築家オノフリオ・デッラ・カーヴァに上水道の建設を依頼しました。オノフリオは10キロ先にあるスルジ山の水源から水を引き込み、1438年に噴水が造られました。
 
 オノフリオの噴水の向かい側には救世主教会(聖サヴィオール教会)が建っています。1520年にコルチュラ島のアンドリイチ兄弟によって建設されたルネサンス様式の教会です。
 
オノフリオの噴水
オノフリオの噴水
 
救世主教会 →
救世主教会
 
 救世主教会の左手には城壁への登り口があります。他に登り口は2ヶ所あります。
 
城壁に上る階段
城壁を歩く
城壁を歩く
 
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