クロアチア旅行記(ドゥブロヴニク)


スルジ山の展望台


 旧市街を出て、坂道や階段を5分程歩いてロープウェイ乗り場に到着です。ロープウェイは1991年の内戦で破壊されてしまいました。長い間、放置されていましたが2010年に復旧されました。
 
ロープウェイ乗り場へ続く道
ロープウェイ乗り場へ続く道
 
ロープウェイに乗ってスルジ山へ →
ロープウェイに乗ってスルジ山へ
 
 スルジ山の標高は412メートルです。山頂には5分ほどで到着します。ロープウェイには大きな窓がついていて旧市街の町並みを一望することができます。
 
ロープウェイからの眺め
ロープウェイからの眺め
スルジ山の山頂へ
スルジ山の山頂へ
 
 スルジ山の山頂には白い十字架が立っています。1808年にドゥブロヴニクを征服したフランスのナポレオンが贈ったものです。
 
 1418年に成立したドゥブロヴニク共和国は、地中海諸国との交易によって15〜16世紀に黄金時代を迎えました。180隻を超える船が地中海を行き交い、イタリアやスペインをはじめ、インドやアメリカ大陸などの遠方にまで到達したそうです。
 
ドゥブロヴニクの町並み
ドゥブロヴニクの町並み
スルジ山に立つ十字架
スルジ山に立つ十字架
 
 しかし、1453年にビザンティン帝国を滅ぼしたオスマン・トルコ帝国によって、地中海に浮かぶ島々やバルカン半島の大部分は征服されていきます。また、16世紀に到来した大航海時代によってアメリカ大陸やアフリカ大陸を経由する大西洋の交易ルートが開拓され、地中海の交易ルートは衰退していきます。ドゥブロヴニクやヴェネチアなど、地中海の交易によって発展した国は徐々に衰退していきました。
 
 さらに、ドゥブロヴニクは1667年の大地震によって大打撃を受けてしまい、衰退に拍車をかけてしまいます。そして、1808年にナポレオン率いるフランス軍の侵攻によってドゥブロヴニク共和国は廃止されました。
 
 
 スルジ山の山頂には展望台があります。ここから下を見下ろすと、城壁に囲まれたドゥブロヴニク旧市街とアドリア海のパノラマが広がっています。右の方に目を向けると、私たちが宿泊したホテルがあるバビンクック地区も見えます。
 
スルジ山の展望台
スルジ山の展望台
バビンクック地区
バビンクック地区
 
 スルジ山の山頂には独立戦争展示館があります。博物館は、かつての城塞を再利用して造られています。
 
独立戦争展示館
独立戦争展示館
スルジ川の裏側
スルジ山の裏側
 
 1808年にドゥブロヴニクはナポレオンに征服されましたが、そのナポレオンは1814年に失脚しました。ナポレオンに征服された領土を再編するためにヨーロッパ列強が開催したウィーン会議(1814〜1815年)によって、ドゥブロヴニクはクロアチア諸都市と同様にハプスブルク家のオーストリア帝国に組み込まれました。
 
 そして、1918年にオーストリア帝国が崩壊すると、ユーゴスラビア連邦の支配下に入りましたが、1991年に独立を宣言します。これを機にセルビアを中心とした連邦軍との内戦が勃発し、町は壊滅的な打撃を受けましたが、人々の努力によって奇跡的な復興を遂げました。
 
ドゥブロヴニクの町並み
ドゥブロヴニクの町並み