クロアチア旅行記(ドゥブロヴニク)


旧市街散策


 フランシスコ会修道院を見学した後は、1時間のフリータイムです。フランシスコ会修道院の前にあるオノフリオの噴水には多くの観光客が集まっていました。今日は天気が良くて日差しが強いので、みんな噴水の側で涼んでいます。
 
オノフリオの噴水
オノフリオの噴水
郵便ポスト
郵便ポスト
 
 噴水近くの建物の壁には、黄色のポストが設置されています。旅の記念に、ショップでポストカードと切手を買って、日本の友人に送ってみました。ポストには、郵便ラッパが描かれています。これは馬車で郵便物を運んでいた時代に、郵便馬車が町に到着したことを町民に知らせるために使用されていたことに由来しています。
 
プラツァ通り
プラツァ通り
プラツァ通り
プラツァ通り
 
 続いては、ルジャ広場に建つ聖ヴラホ教会を見学します。ファサードの上には聖ヴラホ像が立っています。
 
 ドゥブロヴニクの守護聖人になっている聖ヴラホはトルコ領シヴァスの司教を務めていました。303年にディオクレティアヌス帝によってキリスト教徒の大迫害が始まります。跡を継いだコンスタンティヌス帝は313年にミラノ勅令を発布してキリスト教徒を公認しました。しかし、ローマ帝国全土に広がった大迫害が収束するまでに年月を要してしまい、316年に聖ヴラホは殉教しました。
 
ルジャ広場に建つ聖ヴラホ教会
聖ヴラホ教会
聖ヴラホ教会の内部
聖ヴラホ教会の内部
 
 もともとの聖ヴラホ教会はゴシック様式でしたが、1677年の大地震で倒壊したため、1715年にヴェネチア人の建築家マリン・グロッペの指揮のもと1715年にバロック様式で再建されました。
 
 
 ルジャ広場から市庁舎、旧総督邸の前を通って大聖堂に向かいます。この大聖堂は12世紀のイングランド王リチャード獅子心王によって建設されました。
 
 1189年に国王に即位したリチャード1世は、翌1190年に第三次十字軍に参加してエルサレムに向かいます。リチャード1世は、キプロス島やアッコンを攻略するなど、イスラム教徒との戦いで勇猛ぶりを発揮して、獅子心王と讃えられました。
 
旧総督邸の前を通って大聖堂へ
旧総督邸の前を通って大聖堂へ
 
大聖堂 →
大聖堂
 
 1192年にイスラム教徒との間で休戦協定が成立して、リチャード1世は帰国の途につきます。しかし、アドリア海を横断中に彼の船団は嵐に見舞われます。リチャード1世は、命が助かったら上陸できた地に教会を建てることを聖母マリアに誓い、間もなくドゥブロヴニク沖のロクルム島の住民に助けられました。
 
 リチャード1世は、誓い通りロクルム島に教会を建設しようとしましたが、住民たちは旧市街の方に建てて欲しいとお願いしたため、現在の場所に建設されました。このときにロマネスク様式で建設された大聖堂は、1667年の大地震で倒壊したため、1713年にバロック様式で再建されました。
 
大聖堂の内部
大聖堂の内部
大聖堂のオルガン
大聖堂のオルガン
 
 この大聖堂の最大の見所は、イタリアの巨匠ティツィアーノが描いた「聖母被昇天」の祭壇画です。ティツィアーノ(1490〜1576年)はヴェネチア出身の画家で、スペイン王カルロス1世とフェリペ2世の親子をはじめ、各国の王侯貴族の庇護を受けて活躍しました。
 
祭壇画「聖母被昇天」(ティツィアーノ)
祭壇画「聖母被昇天」(ティツィアーノ)