クロアチア旅行記(ザグレブ)


トラムからの車窓


 ラストケ村を出発してから2時間かけて首都ザグレブにやってきました。ホテルでチェックインを済ませたら、ロビーで現地ガイドさんと待ち合わせて早速観光に出発です。
 
ザグレブを走るトラム(路面電車)
ザグレブを走るトラム(路面電車)
フランコパンスカ通り
フランコパンスカ通り
 
 ザグレブ市内は色々な種類のトラムが行き交っています。私たちのツアーでは、まずは1台のトラムを貸し切って町を巡ります。トラム乗り場に行ってみると旧型のトラムが私たちを待っていました。
 
新型のトラム(路面電車)
旧型のトラム(路面電車)
旧型のトラム
← 新型のトラム
 
 トラムに乗り込んだらザグレブ市内の観光に出発します。
 
 
 私たちを乗せたトラムの車窓から、まずはケーブルカー乗り場が見えました。このケーブルカーは丘の上へと続いていて、その全長はわずか66メートルで乗車時間は約1分という世界一短いケーブルカーです。歴史は古く、1890年に開通しています。
 
世界一短いケーブルカー
イェラチッチ広場
イェラチッチ広場
 
← 世界一短いケーブルカー
 
 続いてトラムはイェラチッチ広場の前を通過します。この広場はザグレブの中心地です。広場の背後は旧市街と呼ばれるエリアで、2つの丘があります。
 
 ザグレブがハンガリー王国の統治下にあった中世の時代に、2つの丘にグラデッツとカプトルと呼ばれる2つの町が建設されました。1094年、ハンガリー王ラースロー1世がカプトル司教座を置きます。そして、1242年には国王ベーラ4世がグラデッツを自由都市と認めます。ベーラ4世(在位1235〜1270年)は、当時ヨーロッパに迫ってきたモンゴル軍と戦ったハンガリー王です。
 
 1526年の「モハーチの戦い」でハンガリー軍はトルコ軍に大敗して国王ラヨシュ2世も命を落としてしまいます。オーストリアを統治するハプスブルク家のフェルディナント1世がハンガリー王に即位して、以後ザグレブはオーストリアの統治下に入ります。
 
 1850年、グラデッツとカプトルが合併してザグレブが誕生します。このザグレブが、1991年にクロアチアがユーゴスラビアから独立したときに首都になります。現在のザグレブは人口80万を超えるクロアチア第一の都市になっています。
 
イェラチッチ広場のカフェ
イェラチッチ広場のカフェ
アート・パビリオン
アート・パビリオン
 
 トラムはイェラチッチ広場を抜けてアート・パビリオンの前を通過します。この建物は、1896年にブダペストで開催されたハンガリー建国1000年祭でパビリオンとして利用されました。1000年祭が終了すると、解体されてブダペストからザグレブに搬送され、この場所に再建されました。
 
トミスラヴ広場
トミスラヴ広場
トミスラヴ王の騎馬像 →
トミスラヴ王の騎馬像
 
 アート・パビリオンの背後にはトミスラヴ広場が広がっています。クロアチアの初代国王にちなんだ広場で、公園内に国王の騎馬像が立っています。
 
 ニンという町の領主だったトミスラヴ王(在位910〜928年)はフランク王国やハンガリー王国との戦いに勝利してクロアチア王国を建国しました。このクロアチア王国は925〜1102年まで続き、その後はハンガリー王国の支配下に入りました。