クロアチア旅行記(ザグレブ)
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カプトル地区の散策
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再びイェラチッチ広場に戻ってきて、約20分のトラムによる観光は終了です。ここからは徒歩で旧市街を観光します。
イェラチッチ広場
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いま私たちが歩いているイェラチッチ広場を境にして、広場の背後が旧市街、広場の前面に広がっている私たちがトラムで観光したエリアが新市街になります。
イェラチッチ総督の騎馬像
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この広場にはイェラチッチ総督の騎馬像が立っています。ヨシップ・イェラチッチ(1801〜1859年)はオーストリア帝国のもとでクロアチア総督を務めた軍人です。
1848年3月にオーストリア帝国の首都ウィーンで三月革命が勃発すると隣国ハンガリーのブダペストにも飛び火します。イェラチッチ総督はクロアチア軍を率いてブダペストやウィーンの革命鎮圧に活躍しました。
社会主義のユーゴスラビアの時代になると、この広場は共和国広場と名前を変えて騎馬像も撤去されましたが、1991年にクロアチアが独立したのを機に元に戻されました。
トカルチチェヴァ通りへ
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トカルチチェヴァ通りのカフェ |
騎馬像の脇を通り抜けて広場の左奥に進むとトカルチチェヴァ通りが続いています。ザグレブがグラデッツとカプトルの2つの町に分かれていた時代には、ここに町を隔てる小川が流れていていました。1850年に2つの町が合併してザグレブが誕生すると、翌1851年に小川が埋められてトカルチチェヴァ通りが造られました。
トカルチチェヴァ通りの両脇にはカフェやレストランが並び多くの客で賑わっています。途中で見かけたショップの店頭にはクロアチアの民族衣装が飾られていました。
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ドゥフ司教の階段
← クロアチアの民族衣装 |
民族衣装が飾られているショップの先を右折すると城壁があって、城壁の先まで階段が続いています。ここは1094年に就任したザグレブの初代司教にちなんでドゥフ司教階段と呼ばれています。
この壁を通り抜けて進むと17世紀に創建された聖フラーニョ教会が建っています。この教会は、創建当初はバロック様式でしたが1880年の地震で焼失したため、ネオゴシック様式で再建されました。
聖フラーニョ教会
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聖フラーニョ教会の内部
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聖フラーニョ教会の前から延びているオパトヴィナ通りを進んでいくとドラツ広場に出ます。ここでは日中に市場が開かれています。野菜、肉、魚、果物などを売る露店が並び「ザグレブの台所」と呼ばれているそうです。
オパトヴィナ通り
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ドラツ広場 |
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