スペイン旅行記(グラナダ)
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グラナダの大聖堂
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大聖堂の内部は白い壁で統一されているため、とても明るいです。この大聖堂は正式には、「カテドラル・サンタ・マリア・デ・ラ・エンカナシオン」というとても長い名前があります。

大聖堂の大礼拝堂 |
1523年の建設当初は、エンリケ・デ・エガスという建築家によってゴシック様式で建設が進められましたが、1528年にディエゴ・デ・シロエに交代するとルネサンス様式に変更されました。
大礼拝堂の高さは45メートルあるそうです。上部を飾るステンド・グラスは、当時の国王カルロス1世の故郷フランドルで製作されたものだそうです。
大礼拝堂を囲むように、小さな礼拝堂が設けられています。その中にお祈りを捧げるフェルナンド王とイサベル女王の像があります。
二人が生まれた頃、スペイン王国という国はまだ存在していませんでした。イベリア半島はカスティーリャ王国、アラゴン王国、ナヴァラ王国などに分かれていました。さらに、西にはポルトガル王国があり、南にはイスラム教徒のグラナダ王国がありました。
1469年、カスティーリャ王国のイサベル女王とアラゴン王国のフェルナンド王が結婚します。この結婚によって2つの国はやがて1つになり、スペイン王国が誕生します。
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フェルナンド王とイサベル女王
← 大聖堂のオルガン |
1492年、グラナダ王国が滅びレコンキスタが完了します。王室礼拝堂にはそのときの様子を描いたフランシスコ・プラディーリャという画家の絵画が飾られています。

グラナダ降伏の様子を描いた絵画 |
また、この王室礼拝堂にはイサベル女王とフェルナンド王が葬られています。
生前、このグラナダがとても気に入っていたイサベル女王は、自分が死んだらグラナダに埋葬するように遺言していました。
二人の他には、二人の次女のフアナ王女と彼女の夫であるハプスブルク家のフェリペ(フィリップ美公)も葬られています。
レコンキスタを完了させたスペインの新しい敵は隣国のフランスでした。このフランスに対抗するために、スペインは当時フランスと敵対関係にあったハプスブルク家と同盟します。
この同盟によってフアナ王女とフェリペ美公が結婚し、二人の間に生まれたカルロス1世がやがてスペイン王に即位します。
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