スペイン旅行記(コルドバ)
 |
カトリックの礼拝堂と花の小路
|
 |
11世紀以降、後ウマイヤ朝は宮廷内の権力争いなどが原因で徐々に衰退していきます。そして、1031年に後ウマイヤ朝は終焉し、「タイファ」と呼ばれる小国家群に分裂してしまいます。
一方、北ではかつてイスラム教徒に領土を奪われたキリスト教徒が勢いを盛り返していました。彼らはレコンキスタ(国土回復運動)を推し進め、タイファを次々と攻略していきました。

コルドバを征服したフェルナンド3世 |
1236年、コルドバはカスティーリャ王国の聖王フェルナンド3世(1201〜1252年)が率いるキリスト教徒に征服されます。
メスキータの宝物館にはその様子を描いた絵画があります。フェルナンド3世の後ろにはメスキータが見えます。
コルドバを征服したフェルナンド3世はメスキータをサンタ・マリア教会と名づけ、以後、メスキータは徐々に姿を変えていきました。
16世紀、アロンソ・マンリケ司教はメスキータを大聖堂に改築することを計画します。素晴らしいメスキータを破壊することはコルドバ市民も王室委員会の人々も大反対しました。
しかし、当時のスペイン王カルロス1世はあまり深く考えずに建設の許可を与えます。こうしてメスキータの中央が破壊され、大聖堂の建設がはじまりました。

大聖堂の主祭壇 |
|

祭壇背後の衝立 |
大聖堂の建設は、建築家エルナン・ルイスとその子孫たちの指揮のもとで、1523年〜1766年の実に250年近くに渡って続けられました。結果、1012本あった円柱の森は856本にまで減ってしまいました。
建設がはじまってしばらくしてからカルロス1世が初めてコルドバを訪れたとき、破壊されたメスキータを目にして「どこにでも造れる聖堂のために、世界にひとつしかないものを破壊してしまった、、、」と後悔したという話が伝えられています。
メスキータ観光の後は旧ユダヤ人街を散策します。旧ユダヤ人街は、イスラム教徒がコルドバを支配していた時代にユダヤ人が暮らしていた地区です。ユダヤ人はコルドバを征服したキリスト教徒たちによってイスラム教徒と一緒に国外に追放されてしまいました。
 |
|
 |
| 旧ユダヤ人街と花の小路 |
厳しい日差しを遮るように狭い道が入り組んでいます。特に有名なのが花の小路と呼ばれる場所です。真っ白な壁の家に赤やピンクの花が飾られ、その先にはメスキータの鐘楼を見ることができます。 |
|
 |
 |
|