スペイン旅行記(マドリード)


プラド美術館(ベラスケスとゴヤ)


 続いては、ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660年)の作品です。ベラスケスはセビーリャの出身で、1623年に若干24歳でフェリペ4世の宮廷画家に任命されました。
 
 この「ブレダの開城」は1635年に描かれました。
 
ブレダの開城(ベラスケス)
ブレダの開城(ベラスケス)
 カルロス1世の時代にネーデルラント(ベネルクス)はスペインの支配下に入りましたが、フェリペ2世の時代に独立戦争(1568〜1648年)が勃発します。
 
 スピノラ将軍が率いるスペイン軍は、1624年3月から1625年6月まで、長期に渡ってネーデルラントの要衝ブレダを包囲し、降伏させました。
 
 この作品では、ブレダの総督ナッサウ公(中央左側)が城門のカギを差し出し、これに対してスピノラ将軍(中央右側)はナッサウ公の肩をたたいて健闘をねぎらっています。この作品は、奥に槍が並んでいることから、「長槍」とも呼ばれています。
 
 続いては、ベラスケスの最高傑作とされている「ラス・メニーナス(女官たち)」です。
 
ラス・メニーナス(ベラスケス)
ラス・メニーナス(ベラスケス)
 
 中央に5歳のマルガリータ王女がいて、宮廷に仕える女官や矮人(わいじん)と呼ばれる道化師が王女を囲んでいます。
 
 画面の左には絵筆とパレットを持ってキャンバスに向かうベラスケス自身が描かれています。絵の中のベラスケスは国王夫婦を描いていて、その国王夫婦が奥の鏡に映っています。
 
 マルガリータ王女は後にオーストリアを統治するハプスブルク家の皇帝レオポルト1世に嫁ぎます。二人は叔父と姪の関係で、マルガリータは11歳年上のレオポルト1世を叔父さんと呼んでいたそうです。夫婦仲は良かったそうですが、マルガリータは1673年に22歳の若さで亡くなりました。
 
 1665年にマルガリータ王女の弟カルロス2世がスペイン王に即位しますが、後継者を残さないまま1700年に亡くなります。オーストリアとフランスの間で勃発したスペイン継承戦争(1700〜1714年)を経てブルボン家のフェリペ5世が即位しますが、そのフェリペ5世が亡くなった1746年にフランシスコ・ゴヤが誕生します。そして、1789年にゴヤはカルロス4世の宮廷画家に任命されました。
 
 1800年にカルロス4世を始めとする王室一家を描いた作品は、ゴヤの代表作です。
 
カルロス4世とその家族の肖像画(ゴヤ)
カルロス4世とその家族(ゴヤ)
 
 この絵の中で、中心にいるのは国王カルロス4世ではなく王妃マリア・ルイサです。彼女は野心家で、政治に関心を持たず狩りや相撲に熱中していたカルロス4世に代わって政治の実権を握っていました。
 
 画面の左側にいる青い服を着た青年はそんな母親を苦々しく思っている王子フェルナンド(後のフェルナンド7世)です。
 
 フェルナンドの後ろにはキャンバスに向かうゴヤ自身が描かれています。ベラスケスの「ラス・メニーナス」の影響を受けていることがうかがえます。
 
 「着衣のマハ」と有名な「裸のマハ」は、「カルロス4世とその家族」と同時期の1800年頃に描かれた作品です。この作品は多くの謎に包まれています。
 
 2つの作品は宰相ゴドイの邸宅から発見されたので、ゴドイの依頼で制作されたものと言われています。ゴドイは王妃マリア・ルイサの愛人でした。上の「カルロス4世とその家族」で、王妃マリア・ルイサが手を繋いでいる二人の子供はゴドイの子ではないかと言われています。
 
 厳格なカトリックのスペインでは異端審問所が目を光らせていて、裸体を描くことは禁止されていました。そのため、普段は裸のマハの上に着衣をまとったマハを飾って隠していたと言われています。モデルも判明していなくて、ゴヤと親しかったアルバ公爵夫人という説が有力ですが、ゴドイの愛人を描いたという説もあります。
 
着衣のマハ(ゴヤ)
着衣のマハ(ゴヤ)
着衣のマハ(ゴヤ)
裸のマハ(ゴヤ)
 
 
 1808年、ナポレオン率いるフランス軍がスペインに進軍してきます。国王一家はナポレオンに降伏して、ナポレオンの兄がホセ1世を名乗ってスペイン王に即位します。
 
1808年5月2日(ゴヤ)
1808年5月2日(ゴヤ)
 これに反発したスペインの人々はマドリードで蜂起します。
 
 ゴヤはこの様子を「1808年5月2日」という作品に描きました。
 
 この絵と対をなすのが「1808年5月3日」です。5月2日の蜂起はフランス軍によって鎮圧され、5月3日に首謀者たちは銃殺されました。
 
1808年5月3日(ゴヤ)
1808年5月3日(ゴヤ)
 
 しかし、スペインの人々はこの事件の後も抵抗をやめず、以後6年間に渡って独立戦争を繰り広げます。そして1813年、フランス軍はスペインから撤退し、フェルナンド7世が即位しました。